フランステロ国内の反応に一言
2015-01-29
その他
フランステロに対する、日本国内のマスコミの反応が今ひとつはっきりしないことが気になる。例えば、毎日新聞の岸井成格氏などは、デモが行われた直後の「NEWS23」では、「言論の自由・表現の自由」は絶対に守られなければならないと力説していた。しかし、数日後の「サンデーモーニング」では、ローマ法王の発言もありイスラムの立場にも理解を示すコメントも多かったせいか、「宗教の立場と言論の自由のバランスが大切だ」などと微妙にスタンスをずらしていた。なお、「サンデーモーニング」では、佐高信氏が、「風刺は弱者が強者に対して行うものであり、強者が弱者に対して行う風刺はありえない」などと、筆者のブログと近いことを発言していた。
ところで、今回のテロに対する曖昧な論調は、何も岸井氏に限った話ではなく、日本のマスコミ全体に共通するものと言ってよい。上杉隆氏によれば、ワシントンポストやニューヨークタイムズは、言論の自由と宗教への冒涜の問題に関して、明確な立場から主張しているのに対して、日本ではこれに関して立場を明らかにしている新聞は一紙もないということだった。
言論の自由とテロに関しては、わが国でもかつて、「風流夢譚」事件や野村秋介の朝日新聞での自決等、類似した事件があった。前者は、深沢七郎の小説「風流夢譚」で天皇の処刑シーンが描かれたことが右翼の逆鱗に触れ、発行元の中央公論社の社長宅が襲撃を受け、当日社長が不在だったため夫人と家政婦が殺害されたという事件である(1960年)。後者は、参院選で野村秋介が立候補した政治団体「風の会」が、週刊朝日のブラックアングル(イラスト:山藤章二)で、「虱(しらみ)の会」と揶揄されたことに野村が激怒し、朝日新聞社内で拳銃自決したという事件である(1993年)。特に、野村秋介の場合、風刺画に端を発しているという点からも、今回の事件と重なる部分があったはずである。
しかし、マスコミ報道では、「悪魔の詩」事件に言及したぐらいで、これらの事件に触れた形跡はほとんどなかった。
実はこれには理由がある。
「風流夢譚」事件の後、マスコミは天皇報道に対して委縮する傾向が見られるようになった。渦中の中央公論社は、それまで「思想の科学」の発売元となっていたが、この事件の後、一方的に契約を解除してきた。また、野村に関しては、事件後神格化されることとなり、NHK経営委員の長谷川三千子氏が、野村秋介の追悼20年の文集に寄稿したことによって物議をかもしたことは記憶に新しい。
要するに、日本の言論には、事件直後に「私はシャルリー」というプラカードを掲げてデモ行進したフランス人とは異なり、テロに屈服し続けてきた歴史があったのだ。前のブログで述べたように、言論の自由を絶対化していいなどという立場を筆者は取らない。しかし、思い出したくない忌まわしい過去を封印し、曖昧な論調を繰り返すというのは最悪であろう。言論とテロの問題はけして対岸の火事などではなく、かつて自分たち直面した問題でもあったのだ。これときちんと向き合うことなくして、一歩も前には進めないであろう。