信長嫌い①
2010-03-03
その他
私は、織田信長が大嫌いである。何年か前、木下藤吉郎役のガッツ石松が、信長から「サル」と罵倒されたことに腹を立て、ボコボコにしてしまうというCMがあったが、あれを見てスカッとした口だ。あのCMは、本質をよくついている。もし上司が信長のような男だったら、誰でも同じような気持ちになるのではないか。部下からすれば、単にワンマンでパワーハラスメントの常習者にすぎない。パワハラも信長レベルに達すれば、殺意を抱かせるに十分であろう。
そして、現代の日本で、信長気取りの経営者がいかに多いことか。一国の首相が、自らを信長になぞらえるのだから、それも仕方あるまい。企業経営者なら、部下に対する横暴な振る舞いですむが、信長の場合、狂気をさらに増幅させていった。私としては、信長を殺してくれた光秀に、心から感謝したいくらいだ。
ところで、歴史的に見て、信長はそれほど偉大な英雄だったのだろうか。評価の理由は、戦国乱世の世を終わらせ、近世に導いたというところであろうか。歴史におけるIFは禁物と言われるが、たとえ信長がいなかったとしても、江戸時代と同じような近世が到来していた可能性は十分にある。社会の本質的変化は、経済発展の必然的結果であり、個人の役割はそれほど大きくないからだ。
藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書)によれば、当時、「天下布武」などと言って天下統一への野心を抱いたのは、一人信長だけであった。今川義元にせよ、武田信玄にせよ、自ら天下に号令をかけようなどという、大それた野心は微塵もなく、上洛して足利将軍を補佐しようと考えていただけである。それはちょうど鎌倉幕府の執権、北条氏のようなイメージではなかったのか。鎌倉幕府の滅亡は僅か250年前のことであり、将軍になるには、家格が重要であったはずだ。そして、足利幕府には権力こそなかったが、源氏名門としての権威は残っていたのである。だから、将軍家を盛りたてていこうと考えるのが普通であり、信長だけが異常な行動を取り、その後継者が秀吉だったことにより、歴史の流れが変わってしまったのだ。
その後、徳川幕府は、幕藩体制という諸国連合だったため、ヨーロッパのような絶対王政は成立せず、さらに鎖国のため、西洋諸国に大きく後れをとることになる。このような社会のありようは、武家政権である以上、誰が権力の座についても、それほど大きくは変わらなかったのではあるまいか。
また、信長は、有能な人材を積極的に登用する、今で言う成果主義を採用したと言われている。ゆえに、林道勝のように織田家に代々仕えていた重臣でも、無能だと追放されてしまう。しかし、この方式が、果たして成功だったかどうかは疑問である。本能寺の変を起こした明智光秀は、有能さを買われ織田家重臣となった、いわば成果主義によって出世した者である。しかし信長は、その光秀によって殺されてしまう。
これは、秀吉についても言える。草履取りから大名に取り立てられても、結局は主君を裏切ることになる。秀吉と違って信長には多くの子どもがいたが、秀吉は彼らを後継者にはせず、自分が権力の座におさまってしまうからだ。清州会議の三法師(織田信秀)も、後年秀吉の臣下となる。
このように信長の人材登用は、結果から見れば、明らかに失敗であった。信長が追放した林道勝のような代々の家臣団で固めた家康が、最終的には天下を取るのである。
悪名高い朝鮮出兵にしても、そもそもは信長が考えていたことである。信長は、朝鮮はおろか明国にまで攻めのぼることを夢想しており、秀吉は単にそれを実行したにすぎない。夜郎自大の妄想が、今日まで続く、日韓に横たわる深い溝の原因となったのだ。
唯一信長に天才的な面があったとすれば、それは軍事面におけるものではないか。長篠の戦で見せたような近代戦を彷彿とさせる戦さぶりや、毛利水軍を打ち破った鉄甲船のアイデアなどは、確かに当時の水準を大きく超えたものであった。
織田信長の着想は、どちらかというベンチャー企業経営者のそれに近いような気がする。創業者のエネルギーはあっても、大きな組織を統率するだけの器ではなかった。その点は、家康の方が、一枚も二枚も上手だったのだ。
そう考えていくと、信長を英雄視する我々の常識にも、再考の余地がありそうだ。しかも、信長は歴史に大きな汚点を残している。それは、ジェノサイド(大量虐殺)である。
昨年のNHK大河ドラマ「天地人」によれば、もし本能寺の変がなかったら、上杉家は信長によって滅ぼされていたことになる。後継者の秀吉は、得意の調略により、比較的平和裏に天下統一を果たしたが、もし信長が統一していたとしたら、もっと多くの血が流されていたに相違ない。
さらに信長には、叡山焼き打ちや長島一向一揆との戦いなど、ことに仏教勢力との戦いにおいて、常軌を逸した行動が目立つ。このことをもって、信長は無神論者だった言う人がいるが、それは誤りであろう。
1992年の大河ドラマ「信長」(緒形直人主演)では、信長は陰陽道の熱烈な信奉者であり、戦の際必ずお抱えの陰陽師・加納随天(平幹二郎)の占いに従っていた。また、手紙に自らを第六天魔王と書いたというが、これは反仏教的な傾向をうかがわせる。第六天魔王とは、仏法を滅ぼすために釈迦と仏弟子たちのもとへ来襲する天魔のことで、元々はバラモンの神であった。この点からも、信長が仏教以外の神々を信奉していた可能性は、十分にある。
信長が無神論者であるとする説は、当時来日していたイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの記述に基づく。しかし、フロイスの言葉をそのまま鵜呑みにするのは危険であろう。当時友好関係のあったイエズス会宣教師の喜びそうなことを、わざと言ったのかもしれない。また、信長は、自らを神体として拝ませるために、摠見寺を建立しているが、これなども、無神論者の行動としては、明らかに矛盾するのではないか。ゆえに、寺院に容赦なく攻撃を加えたのは、無神論者だったからというよりは、仏教と対立する宗教を信奉していたからと考えた方が自然で、より筋が通るのだ。
ところで、私はヨーロッパで、信長とそっくりの人物を知っている。アンチ・クリストで、古代ゲルマンの神々を崇敬し、ジェノサイドを行った者、すなわち、アドルフ・ヒトラーである。私は、以前からは、信長とヒトラーは瓜二つだと思っていた。ヒトラーはワーグナーをこよなく愛し、キリスト教とユダヤ教を否定した。ヒトラーはユダヤ人のみを虐殺したが、ゲルマン復興という理想からすれば、キリスト教も外来宗教であり、その信者たちをも虐殺したかったのであろうが、さすがにそれはかなわなかったのであろう。またヒトラーには、軍略家としての才能もあった。仏敵とアンチ・クリストの違いを除けば、両者は驚くほど似かよっている。
今日、平和主義が謳われ、生命の尊重が叫ばれている。こうした時代にあって、戦以外で大勢の民間人や僧侶を殺した人間が、何ゆえこれほどまでに評価されるのだろうか。私には、さっぱり理解できないのである。