後見文化論
2008-02-06
成年後見
わが国で成年後見制度がスタートしたのは、平成12年である。先進国では、この制度の利用率は、人口の1パーセント程度が見込まれているが、現在の、わが国における利用状況は、この目標値に遥かに届かない。わが国の成年後見制度は、ドイツの世話法やイギリスの持続的代理権授与法を参考にしたものであるが、ちなみに、ドイツでは、人口8000万人に対して、世話法の利用件数はすでに100万を突破している。
わが国での利用が伸び悩んでいる主な理由としては、後見制度が導入されてまだ日も浅く、政府広報も不十分なため、まだ一般に浸透していないことが挙げられている。それももちろんあるだろう。しかし私はもう一つ、この制度に対する心理的抵抗のようなものがあるような気がしてならないのである。
海外の新しい制度を受け入れる際には、伝統的思考様式や習慣などの相違によって「継受」の問題が起こりうる。そもそも成年後見制度は、個人主義・自己責任の原則を旨とする西洋の伝統的価値観からすれば、異端かつ例外的なものである。西洋社会においては、内心とか判断の自由は個人的存在の最後の拠り所となる、絶対かつ普遍的なものだからである。ゆえに、どのような事情があるにせよ、その領域を継続的に他者の手に委ねるということはけしてあってはならないことなのである。またその際、自己責任の原則が免除されるということについても同様である。
その意味で、成年後見は西洋思想の臨界点に位置する制度と言えないこともない。ゆえに、個人主義に関する議論がそこまで煮詰まっていないわが国において、このような法制度が出てきた必然性が、十分に理解できていない可能性がある。すなわち、西洋的パラダイムの行き詰まりに生じる問題が、いま一つピンと来てないということだ。そして、このような文化的ギャップこそが、利用低迷の一因となっているという仮説が、まず一つ考えられうる。
ところで、「後見」という言葉は、古語辞典にも載っているように、わが国に昔からあった用語である。ちなみに私は、謡を習っているが、能舞台には後見という役目がある
わが国には昔から、後見制度があった。例えば、天皇がまだ幼く、判断力が未成熟な場合、有力家臣の一人が幼帝の後見人となって補佐するという慣行がしばしば行われていた。やがて、これは一人歩きしだし、藤原氏の摂関政治などのように、天皇が成人してもなお実権を握り続けるという弊害を残した。
よく日本は二重王権制だなどとよく言われるが、制度上の建前は、征夷大将軍という官職は、あくまで天皇の一家臣にすぎない。だから、長き歴史に渡り武家政権の拠り所となった幕府も、広い意味では、摂関政治の延長線上にある、「後見制度」(もちろん、法律的な意味ではない)の一型とは言えないだろうか。
鎌倉時代、将軍の一御家人である北条氏が、補佐役・執権として権力をほしいままにし、さらに、執権の補佐役である連署も登場した。つまり、天皇の後見役である将軍の後見(執権)の、そのまた後見である。ちなみに、執権という言葉は法律用語を連想させるし、連署の由来は、実際に、執権と連名で署名することから来ている。そして鎌倉期は、本格的な裁判制度が始まった時代であり、その殆どは本領安堵などの、不動産案件であった。
私には比較文化論的に検証をする能力も時間もないが、ヨーロッパでは、王が無能だったり、王権が弱まった場合、その王を処刑し新たな者が権力の座につくというのが通例だったのではなかろうか。そして、この傾向は、中国や韓国など、他のアジアの国々にも見られるであろう。しかし、日本においては、今述べたような広義での後見制度が機能したため、後見人たちが交代することによって、長い間天皇制が維持されてきたのではないか。
このような国家のグランドデザインは、当然、下々の文化にも波及してくる。例えば、江戸時代になれば、商家でも、後見役の番頭が事実上の経営権を握っていたりする。よく落語や笑い話に、仕事を全くしない遊び人のばか旦那やばか殿が登場するが、このような人々の存在が許されること自体、その前提には、無能な当主を補佐する有能な番頭や家老がいるということがある。このように判断力の未熟な者をベテラン政治家や経営者が、補佐すると言うのは、わが国においてはむしろ馴染み深い慣行であり、いわばお家芸と言っても過言ではなかったのではないか。
私はここで、わが国の伝統的習慣と、西洋個人主義の臨界点に誕生した後見制度を同一視しようとしているのではない。しかし、似た面もある。例えば、政治のレベルでも、庶民レベルの場合でも、後見が行われた理由として、時の権力者の判断力が未熟だったということがあったはずである。なぜなら、彼らに判断能力が十分備わっていれば、後見人が出てくる余地などありえなかったからである。そして、外来制度が導入される場合、土着の類似した習慣と混淆していくというのは、ありうることなのである。
そして、日本社会の場合、後見人が与えられた権限を逸脱し、当主を蔑ろにするという、悪しき事例が積み重なっていったに違いない。摂関政治しかり、院政しかり、武家政権しかりである。鎌倉幕府や江戸幕府に対して、錦の御旗を掲げて討幕運動が盛り上がった背景には、一後見人にすぎない幕府の専横に対する不満の爆発があったはずだ。また、庶民のレベルにおいても、このような後見人の権限踰越の事例は枚挙に遑がなかったことであろう。
そして、現行の後見制度の場合においても、一番危惧されている点は、後見人が本来の権限を逸脱して、被後見人の権利を侵害し簒奪するということなのである。
われわれが、この制度に対して今一つ信頼できない点があるとすれば、未知の制度に対する不安からではなく、むしろ過去にあった似たような制度を知りすぎているからに他ならないのではないか。すなわち、歴史の中で、後見とか補佐と称して、君主や当社の実権を奪ってきた数々の事例が、悪夢のように民族の集合知に刻印されているからなのではなかろうか。そして、後見人が不正を働いた事件が報道されるたびに、それが下意識の記憶と共鳴現象を起こし、不信感をつのらせているのではないだろうか。
二重王権制はわが国固有の伝統であるにせよ、庶民レベルで、補佐役だった者が経営権を牛耳るなどという話は西洋でもよくあったはずだと思う諸氏もいることだろう。しかし、その場合でも、西洋社会では当主(すなわち、資本家)と経営権を代理する者たちとの間に、公正なルール(例えば株式会社)が作られていったのである。
もちろん私自身、この仮説に確信があるわけではなく、学問的に立証するためには、調査的手法が必要であろう。しかし、少なくとも私の中では、後見制度のイメージは、ここで述べたような歴史的事象と重ねりあうのである。
私は、どうもリーガルマインドに乏しいようで、真正面から法律の議論に臨むのはむしろ苦手で、思考がつい横道にそれてしまいがちある。後見制度に関する真面目な話を期待していた方には、お許しいただきたい。