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民営化の罠―スピンオフ・相模原事件の深層―

2016-09-16
その他
 前回の記事で、津久井やまゆり園の実態を告発した元職員・太田顕氏(注記に記載)の発言について触れた。氏の発言は、朝日新聞でも取り上げられている。
 太田氏は、津久井やまゆり園が開設した1964年の5年後の69年に赴任し、36年間同施設で働いていた。当初のやまゆり園は、定員200名(1968年より)の典型的な大規模収容施設で、人としての生活が保障される環境とはとても言いがたかったという。例えば、施設の中央には長い廊下が走り、1か所の大食堂に全員が集合し、職員がマイクで「頂きます」と言ってからみんなが箸をつける。洗面所は50名に1か所しかなく、4人部屋と6人部屋が設けられていた。入浴は週に2回だけ。午前6時半に起床し午後8時には就寝しなければならなかった。また、喫煙については、時間喫煙がやっと認められるようになったが、喫煙習慣のある人にとっては厳しい環境だったと思われる。この施設で利用者たちは理不尽な生活を強いられていたが、そのことに職員自体気づいていなかったという。
 ノーマライゼーションの影響もあり、1993年には、再整備工事が行われ、施設内にホームごとの区割りが設けられ、各ホームに洗面所や浴室が設置され、200名では多すぎるので定員を160名まで削減し、4人部屋と6人部屋から1人部屋と2人部屋へと、部屋の利用人数が変更された。この新たな体制によって、ハード面での環境は大分改善されることとなった。
 ところが、2005年に指定管理制度(指定管理者:かながわ共同会)が実施されると、県職員は共同会職員に入れ替わり、地元商店の利用はなくなり、人件費等の節減が徹底して行われた。前回の記事にも書いた通り、地元商店の利用は設立時の約束だったのだが、かながわ共同会がそれを一方的に反故にしたことによって地元との関係は悪化し、以前は活発に行われていた地域交流も冷え込んでしまった。
 太田氏は、組合の一員として指定管理制度の導入(すなわち、民営化)に反対し、施設側と激しく対立したため、民営化後は施設を去ることとなった。そのため、後援会にも入れず、利用者との関係も途絶えてしまい、その中で事件が起こったことが何よりも心残りだったという。
 県職員であった太田氏が36年間も同じ施設で働いたことは異例であり、それは人事異動を何度も拒み続けたからだという。それは、職員は利用者にとって家族同然でなければならないのに、その家族がしょっちゅう入れ替わっては利用者を傷つけることになるという、太田氏の信念に基づくものであった。
 講演(学習会)の冒頭で、レジメの名前のところに「講師」と書かれてあったことをひどく気にされ、「自分は講師なんて、そんなエライもんじゃない」と何度も言っておられたのが印象に残っている。太田氏は、現在73歳であるが、年齢を重ねても謙虚さを忘れないという姿勢に「福祉人の鑑」を見た思いがした。

 「福祉人の鑑」でもう一人思い出した人物がいる。もう20年以上も前、筆者は、ある講演会で、夜間巡回介護モデル事業を全国に先駆けて展開している事業所の理事長・E氏の講演を聞く機会があった。大変ユニークな事業という印象を持ち、当時出版社に勤務していた筆者は、「本にしませんか」という企画依頼の手紙を出した。すると暫く経ってE氏から電話があり、「実はすでに企画が進行していたが、なかなか進まないので、あなたの手紙をその出版社の人間に見せ、急いでくれないと他に乗り換えるかもしれないよ」と言ってしまったというのだ。「あなたの手紙を利用してしまって、申し訳ない」としきりに謝罪していたが、当時まだ若造だった筆者も、そんなこと馬鹿正直に言わなくてもいいのにと思いつつも、誠実な人柄に深く感銘を受けた覚えがある。
 この事業所は、福岡の「コムスン」と言ったが、その後、ニュースで元ジュリアナ東京の社長が経営している企業に買収されたことを知った。また、暫くすると、E氏は、コムスンの新経営陣と対立し、結局は追放されてしまったという話を風の便りに聞いた。

 田中氏やE氏が、福祉の業界から追われた話は、この間に起きている民営化の動きを象徴しているように思う。すなわち、典型的な福祉の人材が業界から消え去り、その代わりに、指定管理後のやまゆり園経営陣や元ジュリアナ東京の社長などのように、別系統の人材がこの業界を支配するようになったのだ。旧コムスンも一応会社なので、同じ民営化には違いがない。しかし憶測するに、福祉畑の人々が集まって、行政には真似のできないユニークな試みを実現するために株式会社という道を選んだのであろう。それに比べ、元ジュリアナ東京の社長を中心とする新経営陣は、金融業で言えば強欲資本主義者たちの集まりである。福祉の民営化によって両者が混じり合い、峻別が難しいという状況が生まれた。そして、一般競争入札を取り入れた結果、経営効率化のためには手段を選ばない強欲資本主義系の企業が生き残るという構図になりつつあるのだ。
 その結果施設の環境も、以前とは全く様変わりしてしまった。今や成果主義が全面的に取り入られ、コストパフォーマンスや自己評価といった、今まで福祉とは無縁だった用語が現場では飛び交っているらしい。また、民営化の目的は経費削減なので、そのしわ寄せは当然人件費にかかって来る。その結果、やまゆり園のように、非正規は最低賃金スレスレといったことになるのである。
 現在、筆者の地元・目黒では、中学校の廃校に伴い、その跡地に複合施設を設立するという構想があるのだが、障害者施設の指定管理者が、なんと大阪の事業者になる可能性が高いというのだ。東京・目黒の施設運営を、何ゆえ大阪の事業者にやってもらわなければならぬのかと言えば、それは、入札で一番安い価格を示したからに違いない。サービスの中味なんて、関係ないのだ。そして、落札した業者が、その価格で事業を運営するためには、当然低い賃金で人を雇うしかないのである。これと同じことが、現在、全国のあちこちで起こっている。
 また、介護ヘルパーも、派遣労働者同様、厳しい労働環境下に置かれている。介護ヘルパーの時給は、現在1500円(家事援助)から1700円(身体介護)に設定されており、一見高そうに見えるが、仕事が細切れなため、1日に6か所ぐらい利用者宅を訪問しなければならない。移動時間は賃金には含まれていないため、実際の拘束時間は1日13時間位になることが多く、しかも週休1日で、それでようやく月20万円を少し超えるぐらいの給与になるという。ヘルパーの移動時間は労働時間に該当するということは、厚生労働省基準局長による通達(平25.3.28基発0328第6号)によって示されているのだが、現在、これを遵守している事業者はほとんどないと言ってよい。労働基準監督署に訴えれば、その事業所は当然指導を受けることになるはずだが、訴える介護労働者はほとんどいない。なぜなら、そんなことをすれば、今後仕事が来なくなるからである。また、事業所によって、情報交換と称して、ヘルパーに半ば強制的に事務所に通わせているところもあるが、これも無給である。賃金に比べ、長い拘束時間を強いられるために、睡眠時間が3時間位しかとれないこともあると聞く。このように劣悪な労働環境の下では、福祉の心も人権もへったくれもないのだ。
 そして、このような無茶苦茶な労働環境の元凶は、なんといっても民営化である。入札で最低価格を示した業者に委託するというやり方そのものが、このような修羅場を招いているのである。本来、民営化とは、行政ではなかなか手の付けにくい先駆的・実験的取り組みについて行われるべきであり、うまく軌道に乗った暁には、行政もそれを取り入れたり、利用者に多様なサービスメニューを提供するという趣旨の下実施されるべきである。ところが、今目指されているのは100%の民営化であり、本来の趣旨とは全くかけ離れたものとなってしまっている。そして、それはここ数年のうちに実現されると言われている。その先に見えてくるのは、経費節減至上主義であり、完全なる商業主義(ビジネス)であろう。その結果、古き良き福祉人は、絶滅危惧種となりつつあるのだ。
 また、保育の分野では、客を呼び込むため「英語教育」や「スポーツ教育」などを謳った認定子ども園が、雨後の筍のように乱立しだしている。子どもには発達段階があり、早期から特殊な分野の教育を施すことは百害あって一利なしということは、18世紀の「エミール」にも書かれている。親の欲望を煽り立て誤った幼児教育を推し進めれば、そのうち必ず弊害が生じるであろう。
 民営化によって、この国の福祉は危うい方向に向かって走りつつある。公設民営と指定管理制度を共存させ、互いの長所が影響しあえるような体制が望ましいのだが、民営化一極主義の暴走は、もはや止まりそうにない。まだ間に合うのかどうかすらわからないが、この流れをなんとかしてくいとめなければならない。


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