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「黒田官兵衛」-戦国時代を動物行動学風に読み解く-

2014-06-06
その他
NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」を毎回楽しみに視聴している。幼い松寿丸(後の黒田長政)が殺されそうになったところを竹中半兵衛の機転によって、危うく命拾いした場面には涙した者も多かったことであろう。しかし、後年、長政は極めて性格の悪い人物となり、あの時死んでくれた方が良かったと思う者も少なくなかったのではあるまいか。例えば、このドラマにも登場する後藤又兵衛などは、父官兵衛の頃は、家老として1万石以上で重用されていたにも関わらず、父親が死んだ途端、長政によってリストラされてしまい、大阪城入城の頃はホームレス同然の生活を余儀なくされていたと言う。当時後藤又兵衛の勇名は世間に轟いていたのだが、諸大名たちに対して、又兵衛を召抱えること罷りならんという長政の強い意向が伝えられており、誰もそれに逆らえなかったのだ。
話は、松寿丸に戻る。松寿丸は人質として、秀吉の下に預けられ、ねねによって育てられる。同様の境遇にいた者に、加藤清正、福島正則らがいる。幼少期に、慈しみ育ててくれた者に対しては、けして裏切れぬものである。これは、心理学的に言えば愛着の形成であり、動物行動学風に言えば、インプリンティング(刷り込み)のようなものである。そして、このねねによる幼児たちへの刷り込みは、その後の歴史を大きく変えていくこととなる。
関ヶ原の戦いにおいて、ねね(高台院)はいちはやく徳川方に味方することを表明する。そして、ねねと行動を共にしたのが、この黒田長政、加藤清正、福島正則たちなのである。関ヶ原の戦いの中で、もしこれらの勇将たちが西軍側に加わっていたとしたら、逆の結果を招いていたであろうことは、誰にでも容易に想像がつく。まさに、幼児期の刷り込みの賜物だったのである。
さらに、このねね(高台院)の振舞いについても、動物行動学的な見地からの説明が可能である。
誰でも知っているように、秀吉とねねの間には子宝に恵まれなかった。ということは、ねねからすれば、わが子を産むことによって、自らの遺伝子を残す道が断たれてしまったことになる。では、次に、遺伝子をより多く残すための有効な手段は何かと言えば、甥や姪などによって一族を繁栄させることである。ねねは浅野家の出身であり、当時は夫婦別姓だから、彼女のフルネームは「浅野ねね」だったはずある。したがって、浅野一族の一員であるという強いアイデンティティを持っていたはずだ。そして、徳川家康が浅野家の本領を安堵したため、徳川方につかなければならないと言う意識が働いたのではあるまいか。高台院と淀殿との間に確執が続く中、もし秀頼が天下を取った場合、浅野家は淀殿によって滅ぼされるかもしれない。一族の遺伝子を全く持たない秀頼の子孫が繁栄するよりも、小なりとは言え徳川体制の中で浅野家を存続させた方が、利己的な遺伝子の見地からすれば、合理的な行動なのである。
ちなみに、この浅野家とは、忠臣蔵の浅野内匠頭の本家の浅野家のことである。恥ずかしながら、筆者は、このことをつい最近知った。ねねの血脈は、江戸時代も半ば、浅野家のことなどもはや忘れられた頃になって、日本中を熱狂させた「忠臣蔵」という物語を紡いでゆく。きっと草葉の陰でねねは、自分の決断は誤っていなかったと思っているのではなかろうか。
戦国時代は、闘争本能が横溢した時代であり、本能優位の時代であったと推測される。したがって、単に戦いの場面だけでなく、人間のあらゆる行動が動物本能に近づいていた時代だったのではないか。
そして、今日世界中で、再び本能優位の時代に突入しつつあるような気配が見受けられる。今まで築き上げてきた理念や原理が吹っ飛び、脆くも崩れ去ってしまうような時代がやがて来るかもしれない。筆者は、言葉や理性などというものは、所詮本能の後付けに過ぎないのではないかと思うことがある。戦国時代は、単に懐古的に見るべきものではないのである。


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