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「ヒロシマ-世界を変えたあの日」から考える

2017-08-17
その他
今年もまた、8月6日がやってきた。原爆の死没者に対する慰霊・追悼の番組がいくつか放送されたが、私はBSドキュメント「ヒロシマ-世界を変えたあの日」(NHK・イギリス国際共同製作)を見た。この番組では、マンハッタン計画から原爆投下までの動きを時系列にそって解説し、それに日米の軍関係者、及び医師・学者・民間たちのインタビューを加えたものである。その中で、ある日本人が驚くべきエピソードを語りはじめたため、ベッドで半睡状態であったにもかかわらず、思わず飛び起きてしまった。それは、当時陸軍特種情報部に所属していた長谷川良治氏によるものであった。なんと同部は、原爆投下の2ヶ月前から、テニアン島から発せられる不審な電波をキャッチしており、それが恐らく新兵器のための特別訓練だろうと推測していたというのである。そして、その訓練に参加した米軍機を「特種任務機」と名付け、追跡し警戒を続けていた。そして、8月6日未明においても、この特種任務機がテニアン島から出撃したことを把握していた。長谷川氏は、この特種任務機に積まれたのが「普通の爆弾でないことはわかっておりますので」と語った。さらに、「情報はすぐに参謀本部に伝えられた。しかし、広島の司令部には伝えられなかった。理由は、今も明らかになっていない」というナレーションが続く。そして後から、広島に新型爆弾が投下されたことを知り、長谷川氏らは、せっかく伝えた情報が活かされなかったことに対して、非常に悔しい思いをしたという。
8月9日の場合はさらに深刻であった。同日未明に、やはりテニアン島から発信された同種の電波をキャッチし、再び原子爆弾を積んだB29が出撃したと、陸軍特種情報部の者は全員確信した。それは長崎に原爆が投下される5時間前のことであった。しかし、再びこの情報は参謀本部によって無視されたのである。長崎県大村飛行場の紫電改のパイロットをしていた本田稔氏は、もしこの情報が5時間前にわかっていたら、自分は体当たりしてでもB29を撃ち落としただろうと切歯扼腕した。紫電改もまたB29と同じ高度1万メートルまで飛行することができる戦闘機である。B29は確かに難敵ではあるが、現に撃墜した経験があるし、けして撃ち落とせない相手ではない、と本田氏は語っていた。
この後ネットで調べたところ、このエピソードは2011年のやはり8月6日に放送された「NHKスペシャル原爆投下活かされなかった極秘情報」を下地にしたものであることがわかった。それによると、この陸軍特種情報部は、著名な堀栄三少佐の陸軍参謀本部第二部(情報)の指揮下にあり、敗戦と共に同部の書類はすべて破棄され灰となり、戦後においてはその存在そのものが抹殺されてしまったのだという。堀少佐は、戦後も情報将校としての評価が高く、著書もあるが、この一件についてはずっと悔やんでいたという。当時の参謀総長は梅津美治郎であったが、ポツダム宣言を受諾するかの議論の真っ最中で、その上8月9日にはソ連の参戦もあり、重要な情報が活かせなかったのだろう、と同番組(ヒロシマ-世界を変えたあの日)では推測されている。しかし、どの時点で、誰によってこの重大情報が破棄されてしまったのかについては、いまだにわかってないというのである。

ここにNHKとは全く異なった別の視点を付け加えてみたいと思う。広島に原爆を積んで飛来したB29は、エノラゲイ、グレートアーティスト、ネササリーイービルの三機である。有名なエノラゲイは原爆投下機であり、グレートアーティストは観測機であり、ネササリーイービルは記録撮影機と、それぞれ別々の役割を担わされていた。ここで、素朴な疑問として思うのは、エノラゲイに護衛機がついていなかったのは何故か、ということである。爆撃機は重く小回りがきかないため、通常護衛機が配置される。B29の場合、P51戦闘機がその役割を担っていたが、B29ほど長距離飛行ができないため、硫黄島から発進していた。マンハッタン計画で三年もの準備期間をかけ、この戦争を終結させるという重大な使命をおびた作戦において、爆撃機に丸腰で行かせるというのはあまりに不用意ではないか。事実、テニアン島からの出撃は陸軍特種情報部によって把握されていたし、どこかで偶然発見されたかもしれない。紫電改のパイロットが語ったように、もし発見されていたら撃墜された可能性だってあるのである。確かに大編隊で行けば目立つし、その分発見されるリスクも高まるだろう。しかし、迎撃のことを全く想定しないで重大な作戦を実行するというのは、あまりに無防備すぎはしないだろうか。また、長谷川良治氏らが発見したテニアン島において特別訓練を行っていた特種任務機の数は、12機から13機だったというが、それが、当日には3機に減らされてしたまった理由についても気になる。これらについて、NHKの番組では、全く触れられていない。
これらの点について、ある恐ろしい仮説を示唆してくれる書物がある。それは、柴田哲孝著『異聞太平洋戦記』である。同書の一篇「超空の要塞」には、次のような記述がある。
昭和21年3月5日、著者の祖父が勤務していたインドネシア産業(実在する亜細亜産業のことを指す)の女性事務員のところに、夜中に専務が突然やって来て、
「ここを出た方がいい。たぶん、3月の9日か10日だ。東京に大空襲がある。本所のこのあたりは、火の海になる。荷物をまとめて、どこかへ逃げなさい」
と告げて姿を消したという。
彼女は上司の言葉を信じて、大切な荷物だけをリヤカーに積んで、埼玉の姉夫婦の元に疎開したという。そのため、3月10日の大空襲に遭わずに済んだというのだ。しかし戦後も、上司が、なにゆえ大空襲のことを知っていたのだろうかと、不思議でならなかったという。ちなみに、『異聞太平洋戦記』は小説の体裁を取っているが、このエピソードは著者の他の作品にもしばしば登場してくる。そして、ノンフィクション作品として発表された『下山事件 最後の証言』によれば、インドネシア産業は亜細亜産業であり、その社長は矢板玄で、戦中は特務機関の総帥として活躍し、戦後もGHQとの間に太いパイプをもち、フィクサーとして暗躍していた人物だったという。戦前の話なので、まだ米軍とのパイプはないはずだが、何故矢板ら亜細亜産業の幹部は、このような機密情報を知り得たのだろうか。
この謎を解くために、柴田は、アメリカノーフォークの国立公文書館に飛ぶ。そこで、次のような書類を目にする。1945年1月28日の空襲では、日本軍の迎撃に遭い、出撃機73機のうち、目標地点に至ったのは僅かに28機、そして、迎撃により9機のB29が撃墜されていた。そして、広島の場合と同様、アメリカ空軍の出撃は、事前に日本の諜報機関によって筒抜けだったという。そして、問題の3月10日。出撃前日の記録には、不思議なことが書かれていた。
この日作戦に参加したすべてのB29に、最大爆弾搭載量(2.265トン)の約3倍に相当する6.5トンから6.8トンの焼夷爆弾が積み込まれた。さらに、11名のはずの搭乗員が7名にまで減らされ、減らされた4名は機銃射手だったいう。そして、装備火器がすべて取り外されてしまった。要するに、焼夷爆弾だけを目一杯積み込んで、後は丸腰だったということになる。あまりに無謀な計画だったため、上層部は我々を見殺しにするのかと、兵士たちの間で大騒ぎとなった。エドワーズ・クレメンス大尉の第73爆撃団司令官エメネット・オンドル准将に対する上申書が残っているが、それには次のように書かれている。
「すべての装備火器を取り外し、4名の射手も搭乗させないというのはどのような理由なのか。日本軍機の迎撃に際し何の武器を持たずにいかに対処すればよいのか。友軍機に被害があった場合に備え、責任の所在を明らかにするために異議を申し立てるものである」。
しかし、この上申書は却下されてしまう。この時、日本には、調布、立川、入間に、飛燕、鍾馗などの陸軍機、零戦、月光などの海軍機を合わせると、首都防衛可能な戦闘機がまだ300機ほど残っていたという。米軍兵士が恐れるのも無理なからぬところである。また、ある兵士は、パワー准将に「死にに行けというのか」と直談判したところ、准将は笑ってこう答えたという。
「日本軍は出撃してこない。だから、安心しろ」
これが、『異聞太平洋戦記』「超空の要塞」の要旨である。広島の時は、3月10日から連日連夜空襲が続けられ、迎撃できる戦闘機がほとんどなかったから、B29はほぼ丸腰に近い形で飛来したのだというのが、戦史家たちの一般的見解である。NHKの立場も、これに準じたものと言えよう。しかし、紫電改パイロット本田稔氏の証言は、この見解の矛盾点を、見事に露呈させているのだ。B29と同じ高度1万mまで飛行可能な紫電改が、1945年8月8日の時点でまだ存在していた。紫電改が一機でも残っている以上、B29による作戦計画は万全ではなかったはずだ。
NHKの二つの番組と『異聞太平洋戦記』を見比べると、広島の原爆と東京大空襲には、驚くほどの類似点があることに気づく。米軍B29による空爆は、日本軍による迎撃機の存在を無視した形で行われ、一方、日本側はB29の出撃を把握しておりながら、その情報は全く活かされず、ほとんど迎撃することなくみずみす敵の蹂躙にまかせ、都市を焦土化してしまった。さらに、NHKスペシャルでは、日本の諜報機関が米側の電波傍受によってB29が出撃した場所及び時刻を把握し得た方法について言及しているが、この方法はすべての空襲について可能だったはずである。ゆえに極論すれば、すべての空襲は迎撃可能であったにもかかわらず、日本軍はあえてそれを実行に移さなかった、ということになるのではないか。しかし、これはあくまで空襲約5時間前に敵機の出撃を予測できたと言うことであって、『異聞太平洋戦記』にあるように、東京大空襲の5日前に予測することは、絶対に不可能であったはずだ。なぜなら、日本の諜報機関は米軍の暗号を解読できていなかったからである。では、なぜ予測できたのか。柴田氏は、次のようにその理由を述べている。
「インドネシア産業の幹部が東京大空襲のことを知っていたとしたら、当然、軍部や日本政府もその情報を得ていたわけですよね。だとしたら、政府は知っていながら十万もの国民を見殺しにしたことになる……」(同書、16頁)
先ほども述べたように『異聞太平洋戦記』は小説の形をとっているので、たとえこれが作り話であっても問題にはならない。しかし、同じエピソードはノンフィクション作品にも登場するので、これに作り話を載せることは、倫理上到底許されない。さらに、これは著者の祖父の会社の従業員という、いわゆる一次情報よりもさら信頼性の高い、絶対に否定しようのない真実として、著者に突きつけられていたはずだ。ちなみに柴田氏は、ツチノコや雪男などUMA(未確認動物)のファンであり、UMA関連の小説も多い。しかし、その帰結は大抵UMAと思っていたのが実は実在する希少動物だったというものである。このような従来の著者の常識的見方の根底的転換を迫ったのが、恐らくこの3月10日の5日前に空襲を予告した日本人がいた、という事実なのではないか。もし先に述べたような恐ろしい仮説を排除するためには、予知能力とか、さらにオカルト的な迷路に踏み込まなければならないことになろう。
柴田氏は、東京大空襲のことを軍部や日本政府が知っていたのではないかと仮説を立てたが、NHK番組によれば、諜報機関から上がってくる情報を受け取る一部の軍人たちだけが、その情報を上に伝えなければ、日本軍機の迎撃を阻止できた可能性がある。そして、この阻止した側にも、それなりに正義や正当性があったのかもしれない、という気がするのだ。すなわち、太平洋戦争の勝敗はすでに決しており、もし本土決戦などと、女性や子どもたちまで駆り出して竹槍で迎え撃つなどという馬鹿な真似をすれば、より多くの犠牲者が出たことは必至である。それよりも、日本の主立った都市を米軍にやりたい放題に空襲させ焦土と化すことによって、国民の戦意をそいだ方が、結果的には戦後復興に役立つのではないか、ということである。さらに、5日前に知るためには米軍の情報を知り得るスパイの存在が不可欠だが、日本に連合軍のスパイがいなかったと考える方が、かえって不自然である。当時、米国にはソ連のスパイがおり、イギリスとドイツにも、互いに相手国のスパイが存在していた。そして、軍部に戦争終結勢力や米国のスパイがいたとしても、戦後、しばらくGHQが日本を支配したことによって、その存在を完全に消し去ることは十分可能だったはずである。
私は、NHKの「ヒロシマ-世界を変えたあの日」を見て、このような疑念がムクムクと湧いてきた。日本人の太平洋戦争における犠牲者の数は310万であり、これは悲劇として深い悲しみとともに受け止められてきた。しかし、考えてみれば、ドイツにおける第二次世界大戦の犠牲者は700万人以上であり、ソ連においては2千万人を超えるとされている。ドイツもソ連も、共に本土決戦を行った国であり、そのことによって、これほどまでに多くの犠牲がもたらされたことは確かであろう。さらにドイツの場合、独ソ戦、とりわけベルリン攻防戦において、多数の婦女子たちにソ連軍による陵辱や暴行が加えられ、それはドイツがソ連に対して行った残虐行為とは比較にならぬほど凄惨なものであったと言われている。しかし戦後ドイツは、ナチズムの問題を抱えていたため、これについては一切言及せず、ひたすら沈黙を守るより他なかった。日本でも、本土決戦・一億玉砕が叫ばれたが、その背景には、婦女子が辱めを受けるくらいなら全員死んだ方がましだといった思いがあったに違いない。しかしドイツではそれが、現実のものとなっていたのである。もし歴史の歯車が少しでも狂い、日本とソ連が本土決戦で直接相まみえるようなことになっていたとしたら、ドイツと同じ運命を辿っていたかもしれないのだ。
戦争末期に暗躍し、戦後はその存在を消された者たちがもし本当にいたとすれば、その思いは、多くの人々の命と引き替えに、実を結んだと言えるかもしれないのだ。


花田春兆氏を偲ぶ

2017-08-04
その他
5月16日、花田春兆氏が永眠された。91歳というから、まさしく大往生と言ってよいであろう。戦後の障害者福祉史に巨大な足跡を残した偉人の死に対して、巨星墜つといった感慨を禁じ得ない。一方、マスコミの取り上げ方がそれほど大きくなかったことについては、大いに不満が残った。
花田春兆氏のことをご存知ない方のために一言説明しておこう。花田氏は、大正14年に生まれるが、その後脳性まひの診断を受け、言語障害や運動障害が残ることが明らかになった。9歳の時、東京市立光明学校(現都立光明特別支援学校)に入学し、小学課程を卒業後、研究科に進み、この時、俳句と出会うこととなる。研究科卒業後は在宅で過ごすが、昭和22年、身体障害による初の同人誌『しののめ』を創刊し、当事者による表現活動の場を提供していくこととなる。「しののめ」は文学活動だけではなく、障害者運動にも積極的に関与し、SSKO(身体障害者団体定期刊行物協会)の設立もその成果の一端として挙げられる。
 花田氏は、若い頃より、中村草田男に師事し、萬緑新人賞、角川俳句賞、俳人協会全国大会賞、萬緑賞を受賞し、輝かしい実績を残している。しかし、筆者には俳句の素養がなく、氏の作品について十分に語るだけの言葉を持ち合わせていないため、他の仕事である小説や随筆などについて触れてゆきたい。これらの分野でも、花田氏は膨大な作品群を残している。例えばそれは、『鬼気の人―富田木歩の生涯』、『心耳の譜―村上鬼城の作品と生涯』、『幽鬼の精―上田秋成の作品と生涯』であるが、これらに共通するのは、氏が題材として選んだのが障害者の偉人だった、という点である。すなわち、障害者自身による障害者の伝記作家というスタンスであり、これは、氏が「障害者作家」を自認する所以でもあろう。中でも燦然とした光芒を放つのは『殿上の杖―明石検校の生涯』である、と筆者は思う。これは、南北朝の激動の時代、足利尊氏の従兄弟でもある盲目の琵琶法師・明石覚一が平家琵琶の集大成である覚一本を確立し、一方、我が国の福祉の原点とも言える盲人の互助組織「座」の設立に尽力した経緯が詳細に描かれている。文学・障害者運動の両面で活躍した明石覚一の生き様は、氏のそれにそのまま重なってくる。もう一つ、明石覚一は足利尊氏の縁者だが、花田氏もまた大蔵官僚や海軍の高級将校らを親類に持ち、いわばエリート障害者といった側面があることは否めない。しかし、明石覚一にせよ花田春兆氏にせよ、単なる出自が良いだけで、到底こんな活躍ができるわけではないのである。ちなみに、筆者の知人で障害当事者のS氏も花田氏の心酔者の一人だが、花田氏がある雑誌の中でS氏のことを「単なるお坊ちゃん障害者ではない」と評したことが、彼をいたく感激させたことがある。この言葉はそのまま、花田氏自身の自負であったのではないかと、筆者は推理している。
『殿上の杖』は、緻密な時代考証を踏まえた上での、恋あり、スリルありの上質なエンターテインメント作品として成立している。筆者は、かねがねこの作品はNHKの大河ドラマの原作としても十分通用するのはないかと思っていたのだが、つい先日風の便りに、氏自身もそのような思いを抱いていたという話を聞いた。この作品は、氏の大衆作家としての筆力を十分に感じさせる出来映えになっているが、氏ほどの才能があれば、そのような作品を量産し、流行作家としての地位を確立することも可能だったのではないか。氏が自らを「障害者作家」として規定していたのは、その立場を有利に働かせるためにではなく、むしら自らの志を全うするために科した枷だったのではないか、と思えてくるのだ。
 いずれにせよ、花田氏は91年間の人生を十分に生き抜き、それは、氏にとっても満足の行くものであったに違いない。棺桶の窓から覗くその死に顔は、まるで仏様のようであった。


民営化の罠―スピンオフ・相模原事件の深層―

2016-09-16
その他
 前回の記事で、津久井やまゆり園の実態を告発した元職員・太田顕氏(注記に記載)の発言について触れた。氏の発言は、朝日新聞でも取り上げられている。
 太田氏は、津久井やまゆり園が開設した1964年の5年後の69年に赴任し、36年間同施設で働いていた。当初のやまゆり園は、定員200名(1968年より)の典型的な大規模収容施設で、人としての生活が保障される環境とはとても言いがたかったという。例えば、施設の中央には長い廊下が走り、1か所の大食堂に全員が集合し、職員がマイクで「頂きます」と言ってからみんなが箸をつける。洗面所は50名に1か所しかなく、4人部屋と6人部屋が設けられていた。入浴は週に2回だけ。午前6時半に起床し午後8時には就寝しなければならなかった。また、喫煙については、時間喫煙がやっと認められるようになったが、喫煙習慣のある人にとっては厳しい環境だったと思われる。この施設で利用者たちは理不尽な生活を強いられていたが、そのことに職員自体気づいていなかったという。
 ノーマライゼーションの影響もあり、1993年には、再整備工事が行われ、施設内にホームごとの区割りが設けられ、各ホームに洗面所や浴室が設置され、200名では多すぎるので定員を160名まで削減し、4人部屋と6人部屋から1人部屋と2人部屋へと、部屋の利用人数が変更された。この新たな体制によって、ハード面での環境は大分改善されることとなった。
 ところが、2005年に指定管理制度(指定管理者:かながわ共同会)が実施されると、県職員は共同会職員に入れ替わり、地元商店の利用はなくなり、人件費等の節減が徹底して行われた。前回の記事にも書いた通り、地元商店の利用は設立時の約束だったのだが、かながわ共同会がそれを一方的に反故にしたことによって地元との関係は悪化し、以前は活発に行われていた地域交流も冷え込んでしまった。
 太田氏は、組合の一員として指定管理制度の導入(すなわち、民営化)に反対し、施設側と激しく対立したため、民営化後は施設を去ることとなった。そのため、後援会にも入れず、利用者との関係も途絶えてしまい、その中で事件が起こったことが何よりも心残りだったという。
 県職員であった太田氏が36年間も同じ施設で働いたことは異例であり、それは人事異動を何度も拒み続けたからだという。それは、職員は利用者にとって家族同然でなければならないのに、その家族がしょっちゅう入れ替わっては利用者を傷つけることになるという、太田氏の信念に基づくものであった。
 講演(学習会)の冒頭で、レジメの名前のところに「講師」と書かれてあったことをひどく気にされ、「自分は講師なんて、そんなエライもんじゃない」と何度も言っておられたのが印象に残っている。太田氏は、現在73歳であるが、年齢を重ねても謙虚さを忘れないという姿勢に「福祉人の鑑」を見た思いがした。

 「福祉人の鑑」でもう一人思い出した人物がいる。もう20年以上も前、筆者は、ある講演会で、夜間巡回介護モデル事業を全国に先駆けて展開している事業所の理事長・E氏の講演を聞く機会があった。大変ユニークな事業という印象を持ち、当時出版社に勤務していた筆者は、「本にしませんか」という企画依頼の手紙を出した。すると暫く経ってE氏から電話があり、「実はすでに企画が進行していたが、なかなか進まないので、あなたの手紙をその出版社の人間に見せ、急いでくれないと他に乗り換えるかもしれないよ」と言ってしまったというのだ。「あなたの手紙を利用してしまって、申し訳ない」としきりに謝罪していたが、当時まだ若造だった筆者も、そんなこと馬鹿正直に言わなくてもいいのにと思いつつも、誠実な人柄に深く感銘を受けた覚えがある。
 この事業所は、福岡の「コムスン」と言ったが、その後、ニュースで元ジュリアナ東京の社長が経営している企業に買収されたことを知った。また、暫くすると、E氏は、コムスンの新経営陣と対立し、結局は追放されてしまったという話を風の便りに聞いた。

 田中氏やE氏が、福祉の業界から追われた話は、この間に起きている民営化の動きを象徴しているように思う。すなわち、典型的な福祉の人材が業界から消え去り、その代わりに、指定管理後のやまゆり園経営陣や元ジュリアナ東京の社長などのように、別系統の人材がこの業界を支配するようになったのだ。旧コムスンも一応会社なので、同じ民営化には違いがない。しかし憶測するに、福祉畑の人々が集まって、行政には真似のできないユニークな試みを実現するために株式会社という道を選んだのであろう。それに比べ、元ジュリアナ東京の社長を中心とする新経営陣は、金融業で言えば強欲資本主義者たちの集まりである。福祉の民営化によって両者が混じり合い、峻別が難しいという状況が生まれた。そして、一般競争入札を取り入れた結果、経営効率化のためには手段を選ばない強欲資本主義系の企業が生き残るという構図になりつつあるのだ。
 その結果施設の環境も、以前とは全く様変わりしてしまった。今や成果主義が全面的に取り入られ、コストパフォーマンスや自己評価といった、今まで福祉とは無縁だった用語が現場では飛び交っているらしい。また、民営化の目的は経費削減なので、そのしわ寄せは当然人件費にかかって来る。その結果、やまゆり園のように、非正規は最低賃金スレスレといったことになるのである。
 現在、筆者の地元・目黒では、中学校の廃校に伴い、その跡地に複合施設を設立するという構想があるのだが、障害者施設の指定管理者が、なんと大阪の事業者になる可能性が高いというのだ。東京・目黒の施設運営を、何ゆえ大阪の事業者にやってもらわなければならぬのかと言えば、それは、入札で一番安い価格を示したからに違いない。サービスの中味なんて、関係ないのだ。そして、落札した業者が、その価格で事業を運営するためには、当然低い賃金で人を雇うしかないのである。これと同じことが、現在、全国のあちこちで起こっている。
 また、介護ヘルパーも、派遣労働者同様、厳しい労働環境下に置かれている。介護ヘルパーの時給は、現在1500円(家事援助)から1700円(身体介護)に設定されており、一見高そうに見えるが、仕事が細切れなため、1日に6か所ぐらい利用者宅を訪問しなければならない。移動時間は賃金には含まれていないため、実際の拘束時間は1日13時間位になることが多く、しかも週休1日で、それでようやく月20万円を少し超えるぐらいの給与になるという。ヘルパーの移動時間は労働時間に該当するということは、厚生労働省基準局長による通達(平25.3.28基発0328第6号)によって示されているのだが、現在、これを遵守している事業者はほとんどないと言ってよい。労働基準監督署に訴えれば、その事業所は当然指導を受けることになるはずだが、訴える介護労働者はほとんどいない。なぜなら、そんなことをすれば、今後仕事が来なくなるからである。また、事業所によって、情報交換と称して、ヘルパーに半ば強制的に事務所に通わせているところもあるが、これも無給である。賃金に比べ、長い拘束時間を強いられるために、睡眠時間が3時間位しかとれないこともあると聞く。このように劣悪な労働環境の下では、福祉の心も人権もへったくれもないのだ。
 そして、このような無茶苦茶な労働環境の元凶は、なんといっても民営化である。入札で最低価格を示した業者に委託するというやり方そのものが、このような修羅場を招いているのである。本来、民営化とは、行政ではなかなか手の付けにくい先駆的・実験的取り組みについて行われるべきであり、うまく軌道に乗った暁には、行政もそれを取り入れたり、利用者に多様なサービスメニューを提供するという趣旨の下実施されるべきである。ところが、今目指されているのは100%の民営化であり、本来の趣旨とは全くかけ離れたものとなってしまっている。そして、それはここ数年のうちに実現されると言われている。その先に見えてくるのは、経費節減至上主義であり、完全なる商業主義(ビジネス)であろう。その結果、古き良き福祉人は、絶滅危惧種となりつつあるのだ。
 また、保育の分野では、客を呼び込むため「英語教育」や「スポーツ教育」などを謳った認定子ども園が、雨後の筍のように乱立しだしている。子どもには発達段階があり、早期から特殊な分野の教育を施すことは百害あって一利なしということは、18世紀の「エミール」にも書かれている。親の欲望を煽り立て誤った幼児教育を推し進めれば、そのうち必ず弊害が生じるであろう。
 民営化によって、この国の福祉は危うい方向に向かって走りつつある。公設民営と指定管理制度を共存させ、互いの長所が影響しあえるような体制が望ましいのだが、民営化一極主義の暴走は、もはや止まりそうにない。まだ間に合うのかどうかすらわからないが、この流れをなんとかしてくいとめなければならない。


相模原事件の深層

2016-08-21
その他
 相模原障害者殺し事件は世間を震撼させ、人々の心に深い傷痕を残した。マスコミは、当然のことながら人道主義の見地から、19人に及ぶ知的障害者の殺戮という悪鬼の如き所業をなした容疑者を一斉に断罪した。少なくとも大手メディアの中で、容疑者に同情を寄せた記事は一本もなかったと思う。しかし、心の闇の部分を反映させるネットの世界では、犯人を擁護する意見が少なからずあったこともまた事実なのである。すなわち、この事件に関しては、ホンネとタテマエという二重構造が存在しているのである。悲惨な事件を二度と起こさないためにも、正論だけでなく、地下世界の住人たちの声に耳を傾けることも重要であろう。
 筆者は、この事件は思想的テロという側面が強かったのではないかと見ている。その意味で、現在世界中で起きているイスラム過激派によるテロと軌を一にするものであり、共通の基盤があったと考える。マスコミは、容疑者の安楽死思想を歪んだものとして切り捨てるが、今日の安楽死をめぐる思想状況そのものが歪んでいるとも言え、この点を見落としてはならない。
 容疑者はヒトラー思想の影響を受けたと語っているが、これは、ナチス政権下において行われた障害者安楽死計画、すなわちT4計画のことをさしている。T4計画に関しては、カトリックのフォン・ガーレン司教が公然と抗議し、それが多くのドイツ国民にも支持されたため、結果的に頓挫することとなる。しかし、ヒトラーによる中止命令が出た後も、安楽死施設ではT4計画が密かに実行されつづけ、それによって、多くの障害者たちの命が奪われることとなる。そしてこのことは、T4計画を考える上での重要なポイントであると筆者は思う。すなわち、障害者の安楽死は、彼らと接する機会の多かった医療関係者の手によって積極的に実行に移されたのである。
 今回の事件が衝撃的であったことの理由の一つに、犯人が介護職員であったことが挙げられているが、これはT4計画の場合とよく似ている。医療や介護に従事する者の場合、死が日常化していく中で、死というものに対して職業上鈍感にならざるを得ず、また、効率性や迅速性が重視される中では、患者や利用者を物のように扱うことにもなりかねない。そしてこの傾向は、グローバリズムが進展し、効率主義が優先される中、ますます強まりつつあるように思える。すなわち、今日ナチス政権下と同様、安楽死を受け入れやすい土壌が生まれつつあると言えるのではないのか。
 さらに、安楽死はけして過去の問題ではなく、今なお続いている未解決の課題であるということを忘れてはならない。例えば、今日、日本の多くの医療機関において、終末期高齢者に対する安楽死が公然と行われている。これについては、以前このコラムで書いたので、詳しくはそれを参照されたい(「終末期医療の真実」)。すなわち、終末期の多くの認知症高齢者たちは、食欲が減退し自力栄養摂取が困難な状態になると、点滴や胃ろう等の医療行為の不作為により意図的に死に至らしめられるといったことが、合法的かつ日常的に行われているのである。無論家族の同意は必要とされるが、そのプロセスはきわめて不明瞭であり、安楽死が実行される際の基準も曖昧である。通常この段階ではすでに重篤化し、転院が不可能な場合が多いため、たまたま入院した病院の方針に従わざるを得ないこととなる。
 これは、消極的安楽死と呼ばれるが、すでに数百万人のオーダーで実行されている。延命が本人にとって耐えがたい苦痛を与え、劣悪なQOLしか維持されない場合、消極的安楽死は正当化され得ると筆者は考える(もちろん異論はあるだろうが……)。しかし耐えがたい苦痛がないのなら、脳死と同様、明確な基準と適正な手続き(デュープロセス)に基づき行われるべきであろう。脳死が国民的議論となり、不十分ながらも厳正な手続きにおいて行われているのに比べると、脳死より遥かに多くの人々が直面しなければならないこの問題が置き去りにされているのは、法的バランスから考えても不可解と言うほかない。
 明確な証拠があるわけではないが、その背景に、無駄な医療費を削減するという経済的理由があると考えられる。このように公言がはばかれる理由があるからこそ、消極的安楽死の問題は、グレーゾーンの中に落とし込められているのであろう。そして、この消極的安楽死と植松容疑者が重複障害者に対して行った安楽死には、違法性の問題を除けば、明確な線引きはできないと筆者は考えている。すなわち、余命のある程度見込める重度障害者に対する安楽死は正当化されないが、余命いくばくもない高齢者に対する安楽死なら正当化され得るといった理屈は、モラル上成り立たないからだ。もちろん、これはあくまで道徳レベルの話であり、容疑者の行為が重大な犯罪を構成することに対して異論を唱えるつもりはない。
 容疑者の自称安楽死を、生命倫理上の用語に置き換えるなら、「積極的安楽死」の一型ということになろう。「積極的安楽死」とは、致死量の薬物を投与することにより終末期の患者を意図的に死なせることであり、オランダ、ベルギー、スイス及びアメリカの一部の州では合法化・容認されている。しかし、筆者は、積極的安楽死と消極的安楽死を区別することは不毛であると考えている。消極的安楽死は乳児の遺棄などと同様、明確な阻却事由がなければ殺人行為に等しいからだ。そして、このように考えた場合、両者は同じ安楽死に変わりなく、法的問題を除けば、決定的な違いはないと言えるのではないか。そして、ネット上の声は、まさにこの辺の問題を突いたものではなかろうか。すなわち、「今の世の中だって、結局植松容疑者と同じようなことをやってるじゃないか」という話になる。さらに、終末期高齢者に対する消極的安楽死は非常に大規模に行われており、すでに数の上ではホロコーストを凌駕するのではないかと思われる。南京大虐殺の場合もそうだが、数の問題はとても重要なのだ。
 僅かの生存期間を延ばすために膨大な医療費を費やすことは確かに無駄であり、筆者もこの点を無視するつもりはない。しかし問題は、このような重大な決定が今なおグレーゾーンにあり、膨大な数の安楽死が日々恣意的に実行されているという点にある。ちなみに、家族に対する説明の際、「安楽死」という言葉が使われることはなく、恐らく「積極的治療を行わない」と説明されているはずである。しかし、この「積極的治療」という概念がまた曖昧で、筆者の経験でも医療機関によって雲泥の差があるのだ。筆者の父親の場合、終末期に最善を尽くしてもらったと思ってるが、もし別の病院に入院した場合のことを考えるとゾッとするのだ。
 同様の問題は他にもある。現在、出生前、21週以前の人工中絶は合法的に認められている。安楽死と人工中絶は、生命を意図的に終わらせるという意味で、倫理上同じ性格の問題と言える。日本では、1996年、優生保護法が母体保護法に改正されたことにより、法律の文言上優生思想はなくなったことになっている。しかし実際には、障害を理由とする中絶が、「経済的理由」の名の下に広く行われているのだ。今後、出生前診断が簡便化されることによって、この傾向にさらに拍車がかかることだろう。
 このように日本では、「障害を理由とする中絶」はタテマエ上存在しないことになっているが、それは事実とは異なり、しかもこのことが、大きな議論にすらなっていない。アメリカでは、中絶をめぐる問題が、国論を二分する大論争となっており、大統領選の行方を左右するとすら言われている。すなわち、共和党を中心とするプロライフ派は、生命尊重の立場から中絶に対して反対の立場を取り、一方、民主党を中心とするプロチョイス派は、フェミニズムの立場から中絶に関する選択権は女性の権利であると主張している。
 先ほども述べたように、中絶と安楽死は、それが人生の最初期か終末期かという違いがあるだけで、本質的に同じ問題である。日本では、どちらも隠蔽し、直視することを避けてきたのである。この辺の矛盾が、今回の事件を誘発した可能性もあり、また、ネット上の同調者たちは、そのことを感じているのではなかろうか。
 中絶や安楽死を推進する立場の背景に、優生思想がある。優生学は、科学的根拠のない似非科学とか疑似科学と言われている。しかし、果たしてそうであろうか。20世紀初頭、先進国における進歩的知識人の多くが優生学を支持したのである。日本もその例外ではなく、マーガレット・サンガー夫人を招き日本家族計画連盟を設立した加藤シズエ(1897~2001)などはその代表である。加藤自身社会運動家であり、夫は社会党の名物男・加藤勘十である。しかし戦後、ナチのホロコーストによって優生思想は世界中の非難に晒され、タブー視されるようになった。そのため、戦前この思想を支持した人々は皆口を噤み、学問的世界から優生学は一掃されてしまったのだ。
 しかし、例えば、種馬や種牛などの育種は当たり前のように行われているが、種馬とはまさしく優生(すぐれた個体)のことを意味しており、優生のみを選択的に繁殖させることは、動植物のレベルでは昔から行われてきたのである。動植物には適用されるが、人間には適用されない理論は科学とは言えず、単なるイデオロギーにすぎない。極論を恐れずに言えば、人類は、農耕や牧畜の開始と共に、自然に対して優生学的改良を加えることによって、人間にとって都合の良い反自然的な世界を構築してきたのである。米も麦もフルーツもペットも、みなこれらの営為の産物であり、人類文明は遺伝改良(≒優生学)によって多大な恩恵を受けてきたと言っても過言でないのだ。
 要するに、優生学=非科学と言うべき今日の風潮は、科学と言うよりはヒューマニズムの産物なのである。つまり、人間という自然界における特権的存在以外の対象に対しては不自然な遺伝的改良を加えてもかまわないが、同じことを人間に対して行ってはならない。だから、優生学が似非科学であるというのは欺瞞であり、我々は品種改良(育種)という名の優生学をずっと行ってきたのである。これを最近話題となったドーピングの問題と比べてみるとわかりやすい。ドーピングは、たとえ技術的には可能であっても、スポーツ選手に対して行うことは倫理上許されない。優生学も同じことだ。優生学的技術を人間に対して適用することは当然可能だが、たとえ技術的には可能であっても、自然の支配者たる人間に対して行うことは倫理上許されないのだ。優生思想については真実が語られず、今なお欺瞞に満ちた解釈がまかり通っているのだ。
 また、ヒトラー思想も軽視すべきではない。ネオナチは今も存在するし、同様の差別主義KKKも根絶されたわけではない。現にドイツでは、著作権法にかこつけて、戦後長い間、『我が闘争』の出版が禁じられてきたのだ。ヒトラーの死後70年が経過し、著作権の保護期間が切れ、ようやく発禁処分が解除されたが、それでも出版に際しては、ナチズムに関する注釈の付記が義務付けられている。「シャルリーエブド」への襲撃事件の後、メルケル首相は表現の自由を叫んでデモ行進に参加したが、自国における表現の自由に関してはこのように矛盾を抱えたままなのだ。裏を返せば、ヒトラー主義がいまなお無視しがたい影響力を持っているということであり、その背景には、優生思想をめぐる混乱した状況が垣間見えてくるのである。

 植松容疑者の思想を切り捨てる前に、それを批判する視座がきわめて脆弱な基盤の上に立っていることについてご理解いただけたであろうか。安楽死、中絶、優生思想をめぐる思想状況は、今なお混乱の中にある。もちろん、長い間世界中の人々が思索し、いまだに解が得られてない問題なのだから、そう簡単に決着がつくものではない。しかし、その点を自覚しつつ、議論することこそが大切なのである。中絶に関してはアメリカを見習い、国民的議論の土俵に乗せるべきであろう。もっともアメリカでは、論争がしばしばエスカレートし、中絶を行っている産婦人科医がプロライフ派によって襲撃されるといった事件も起きている。だから、オープンな議論にしたからと言って、必ず犯罪が予防できるというわけではない。しかし、同じ起こるならアメリカのようなテロの方が、まだましと言えよう。

 筆者は、今回の事件の背景に三つの要因があったと考えている。

①  思想的要因
②  性格的(内因的)要因
③  環境的要因

 一番目の思想的要因については、これまで述べてきた通りである。だから、筆者は、植松容疑者は確信犯であったと考えている。安楽死、中絶、優生思想をめぐる現在の混乱した状況や隠蔽体質は、まやかしやいかがわしさといった印象を拭えず、かえって事件の再発を助長するものではないかと思われる。一朝一夕には行かぬだろうが、安易に「正しい答え」を植え付けるのではなく、すべての問題を包み隠さず開示することによって事の本質を深く考えさせる教育こそが必要であろう。そして、この事件をきっかけに、安楽死や中絶の問題をもっとオープンな議論にし、決定の手続きやデュープロセスを確立していくべきであろう。
 二番目の性格的(内因的)要因については、事件の本質とは関係のない副次的要因と筆者は見る。確かに植松容疑者には、池田小の児童殺傷事件の犯人・宅間守と同様、境界性人格障害のような性格異常があったと推測される。それは、衆議院議長に送った手紙における常軌を逸した文面からもうかがえる。しかし、宅間の場合も、精神鑑定の結果、心神耗弱や心神喪失は認められず、責任能力が認定され、死刑判決が確定しすでに執行されている。もし仮に容疑者の性格異常が犯行を助長した可能性があったとしても、そのことを一義的に問題視すべきではない。
 これは、統合失調症や大麻使用に関しても同様である。統合失調症が事件の主要な原因であると考えたとすれば、一般人より殺人事件の発生率の少ない精神障害者の差別にもつながるだろう。ましてや措置入院の解除が早すぎたなどというのは論外であり、確たる理由もなく長期間入院させることなどできるはずもないし、強制すれば人権侵害だ。
 また、大麻、特に医療用大麻の解禁は今日世界的潮流でもあり、前回の参議院選挙では、新党改革が掲げた公約でもあった。多くの場合、大麻は煙草と同じくらい無害なことが科学的に立証されている。ただ例外として、二つの遺伝子型を持つ者にとっては、統合失調症を誘発する可能性が高いことが最近の研究から明らかになっている。今回の植松容疑者もそのタイプだったのかもしれない。
 あまり言及されてないが、筆者が注目しているのは、「ヒトラーガ降りてきた」という容疑者の言葉である。霊現象として捉えるか心理現象に置き換えるかは別として、ある種の憑依現象が、容疑者の異常心理を加速していった可能性は否定できない。もちろん、これが無罪や減刑の理由になるなどと言うつもりはない。
 これらの間接的影響がたとえあったとしても、多様性(ダイバーシティ)が求められる世の中にあって、それらは操作不能な要因と考えざるを得ない。すなわち、マイノリティの人々と共生していくためには、境界性人格障害や統合失調症などと犯罪を結びつけることはあってはならないのだ。性格的要因には遺伝的影響が大きいと考えられるが、ダイバーシティ社会では、これらもまた個性の一つと見なされるため、排除することは許されない。もしある特定の性格傾向をもつ人々を排除するなら、それこそ優生学の悪しき適用をするしかないのではないか。
 三番目の環境的要因が、今回特に見落とされてきた一番重要なポイントかと思われる。秋葉原通り魔事件では、犯人の加藤智大が派遣労働者であり、劣悪な労働環境の中で蓄積したストレスが事件の引き金となったと報道された。また、冒頭でも触れたイスラム過激派によるテロの場合も、移民と言う差別的環境によってテロが誘発されたことがしばしば指摘されている。
 今日、福祉労働者も派遣労働者同様、きわめて劣悪な労働環境に置かれているという話をよく耳にする。ちなみに、知的障害者の施設で働く筆者の友人から、この事件の直後にメールが届き、そこには「明日は我が身かと思った」と書かれてあった。すなわち、毎日長時間勤務が続く過酷な労働環境の中で、精神も身体もボロボロになっているというのだ。この友人の場合、「黒福祉」という告発ブログを読んで、いつも共感しているのだという。ちなみに、彼の職場は、今回の事件に関して声明文を発表した育成会系列の施設である。
 福祉が急速な民営化の波にさらされていく中、そこで働く者たちは、低賃金・長時間労働といった過酷な労働条件を強いられている。今回の津久井やまゆり園のケースにおいても、このような視点から取材を掘り下げるべきではなかったのか。ちなみに、津久井やまゆり園の場合、非正規職員の時給は最低賃金スレスレの額であったことが、一部報道機関によって伝えられている。植松容疑者の場合、途中で正規職員に昇格したが、給与に関しては現在全職員に対して緘口令が敷かれているため、正確なところはわからない。注1)しかし、非正規の賃金が最賃に近いということであれば、正規職員の待遇も推して知るべしであろう。
 津久井やまゆり園の場合、2005年の指定管理制度の導入により民営化がスタートした。すなわち、今まで県設県営によって運営されてきた施設の業務が、指定管理者(かながわ共同会)にすべて移管されることとなったのである。その結果、職員体制が大きく入れ替わり、ベテラン職員の多くが離職することとなった。また、1964年の施設発足時、雇用や地元商店の利用等において地元経済に貢献するという約束が住民との間で交わされていたが、民営化の開始と共に、この約束は反故にされ、そのため活発だった住民との交流も冷え込んでしまった。例えば、以前、利用者の一人が施設を脱走し、結果的に付近の川で溺死体として発見されたという事件が起こった。この時は、多くの地元住民が行方不明者の捜索に協力してくれたが、今回の事件の後、弔問に訪れる地元住民はほとんどいなかったという。注1)
 津久井やまゆり園の例から、民営化のもたらす弊害が浮かび上がってくる。2005年を境に、今まで県職員を主体としていた施設職員の給与は大きく下落し、また、地域との活発な交流によって風通しの良かった施設環境も、かつての収容施設のような閉鎖的なものへと逆戻りしてしまった感がある。そして、同じ施設労働者と言っても、県職員と、劣悪な労働環境に身を置く職員とでは、意識のありようも異なるのではないのか。民営化した施設においても、一部の管理者たちは、高い賃金水準を享受し、3K労働からも免れている場合が多い。このような時、幹部職員による人道主義的メッセージは、最賃スレスレの福祉労働者の心に届かないどころか、人道主義的メッセージが階層間をまたいで伝達されるとき、かえって反発を招き、怒りを一気に爆発させてしまうことにだってなりかねない。
 民営化は、国民の税金を無駄遣いしないために経費を節減するという目的の下に推進され、そのためには入札によって経費を安く抑えることのできる民間業者に委託する方法がとられた。しかし一方では、民間事業者に丸投げすることによって、指導・監督を怠るといった行政責任の放棄が目立ってきたのである。津久井やまゆり園においても、裏を取ったわけではないが、一般的傾向として、不十分な監督責任しか果されてこなかったであろうと推測される。競争のすべてが悪いとは言わないが、しかし、それはあくまでサービスの中味に関するものであって、価格を前面に押し出した競争入札によるものであってはならない。また、業務の丸投げによって、行政責任がないがしろにされるようなこともあってはならないのである。
 労働環境の劣悪化による疲労の蓄積は、サービスの低下につながるだろうし、職員による虐待の危険性を高めるだろう。施設における利用者と介護職員の関係は、一般的なサービスの場合とは異なり、サービス提供者(介護職員)と客(利用者)という関係の上に、さらに強者-弱者という権力的関係が重なり合う。そして、このような二重構造は、第三者の目の行き届かない閉鎖的環境において特に顕著となりやすい。この場合の弱者とはもちろん利用者である。通常の取引において、強者と弱者という関係性が前面に出ることはまずないが、それはサービス提供が短時間で終了するからであろう。それに比べ多くの施設では、入所期間が長期に及び、しかも生活全般に関与するため、むきだしの関係性が表に出てしまいやすいのだ。もしこの関係が長期にわたった場合、虐待の温床になりやすいことは想像にかたくない。
 これに関して示唆を与えてくれるのが、スタンフォード監獄実験(1971)である。注2)この実験では、普通の大学生たち10人が囚人役に、11人が看守役になってもらい、刑務所に模した密室に近い大学の地下実験室の中で、経過観察が行われた。実験期間は当初2週間の予定であったが、6日間で打ち切ることになった。それは、看守役の心理的虐待が次第にエスカレートして行き、やがて参加者に心理的後遺症の危険性が生じるほどになってしまったからである。そして、この実験の結果が発表されるやいなや学界に波紋を呼び、実験の倫理的問題が問われ、この種の心理実験は二度とできなくなってしまった。
 当然のことながら被験者たちは、囚人と看守の関係が単なるフィクションにすぎないことをわかった上で実験に参加している。また、被験者は公募によって募集され、スタンフォード大学を初めとする大学生で、中流階級の教養ある若者たちであった。また、アルバイト代として、1日15ドルが支給された。囚人役と看守役の振り分けは無作為に行われたが、24時間拘束されるにも関わらず、ほとんどの者は囚人役を希望したという。なぜなら、将来何かの事件に巻き込まれた時の予行演習になると考えたからだという。しかしそれでも、いったん権力的関係性にスウィッチが入ってしまうと看守役の暴走が始まり、歯止めがかからなくなってしまったのだ。この実験を行ったジンバルドーは、36年後に詳細な記録、『ルシファー・エフェクト-ふつうの人が悪魔に変わるとき-』を執筆しているが、この本の副題(Understanding how good people turn evil)にもあるよう、ごく普通の若者、ないし普通以上に礼儀正しい若者たちが、閉鎖的な環境の中で驚くべき人格変容を遂げてしまったのである。そしてこのことは、潜在的危険思想の持主や元々偏った性格傾向にあった者が同様の環境に置かれた場合、正真正銘の悪魔になりうることを意味している。
 最近の例では、9.11後のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待において、これと同様の心理的メカニズムが働いたと、ジンバルドーは指摘している。冒頭で触れたドイツの安楽死施設におけるT4計画の場合も、同様であったと推測される。
 T4計画の場合は、ミルグラム実験(別名、アイヒマン実験)(1963)も参考になる。この実験は、教師役(被験者)と生徒役(実験協力者、つまりサクラ)が別室に分けられ、生徒役が誤った回答を出した時に、脇にいる博士(権威者)が電気ショックによる罰を与えるよう教師役に指示するというものである。すると、インターフォン越しに生徒役の絶叫が聞こえているにも関わらず、6割以上の被験者たち(教師役)は、博士の指示通り最大ボルトのスウィッチを入れたという。この場合の被験者も、新聞で公募した20歳から50歳までのごく普通の男性たちであった。この実験では、たとえ残酷な結果をもたらすことがわかっていても、権威者(博士)の指示には従順に従ってしまうという心理的傾向が観察されたが、スタンフォード監獄実験では、このような権威者は存在せず、自らの意思によって安楽死を実施している。T4計画の場合、ミルグラム実験とスタンフォード監獄実験の両方の要素が複合したものと言えよう。すなわち、T4計画の開始時から中止命令が出るまでは、命令を忠実に実行したという意味でミルグラム実験モデルが適用されるが、中止命令以降は、自らの意思で実行しているわけだから、スタンフォード監獄実験モデルが適用されると考えられる。
 そして、このような心理的傾向は、密室に近い閉鎖的環境にある施設の中でも生じ得ると考えられる。施設における権力的関係は、刑務所ほど極端ではないにせよ、密室的環境にあれば、この関係が徐々に強化されていく可能性だってある。ゆえに閉鎖的な施設においても、虐待が暴走してしまうことになりかねないのだ。
 そして民営化の拡大は、この傾向をますます加速させていくに違いない。すでに触れたように、民営化によって行政の監督責任が放棄されるため施設は閉鎖的環境に近づき、労働条件はますます悪化していく。すなわち、民営化による施設を取り巻く環境の劣悪化が、虐待の引き金となる可能性が否定できないのだ。現に、津久井やまゆり園の事件も、2005年の民営化から十年ちょっと経って起きている。民営化が直接の原因だなどと言うつもりはないが、虐待が起きやすい環境要因が生まれつつあったとは言えるのではないのか。
 しかし、民営化には財政健全化と言う大義名分があるので、この流れはそう簡単には止められそうにない。ゆえに手をつけるのはまず、労働環境の改善からであろう。秋葉原通り魔事件は派遣法の改正と結びついたが、今回もこの事件に見習って、政策の見直しや法改正がはかられるべきであろう。劣悪な労働環境がテロの引き金になり得るというのは牽強付会でもなんでもなく、世界中で指摘されていることなのだ。我々が考えるべきは、この事件を契機に何かをなすことであり、世の中の仕組みを変えることなのだ。
 9月14日、厚生労働省の本事件の再発防止策に関する厚生労働省の検証チームによる中間報告が発表された。その骨子は、①措置入院、②退院後のフォローアップ、③施設の防犯対策であったが、このような論点は馬鹿げたものであり、愕然とせざるを得ない。まず、措置入院に関しては言いがかり以外の何ものでもなく、あのような対応しかできず、また、今後もやってはならないのである。また、退院後のフォローアップと言っても、植松容疑者のように大麻精神病を逆手にとって責任能力がないなどと訴える知能犯に対しては、手玉に取られ逆に利用されるのが落ちであろう。また、施設の防犯対策に関しては、今回警備員が仮眠中であったと伝えられているが、元々警備業法上、警備員には私人逮捕以上の特別な法的権限が与えられているわけではなく、業務研修でも凶器を持った暴漢が侵入してきた場合は逃げるようにと指示されている。だから今回の事件で、もし警備員がその場に居合わせたとしても、他の職員同様犯人に拘束されていたに違いないのだ。今回の事件にも対応できるようにするためには、各施設に現役の警察官を配備・常駐させるしかない。これは非現実的であるばかりか、もし仮に実施した場合、地元住民は誰も寄り付かなくなり、孤立化した環境をますます深めるだけであろう。政府の検証チームがこの程度の案しか出せないとしたら、環境要因改善への道は、前途遼遠と言う他ない。


(注記)

注1) 太田顕(元津久井やまゆり園職員) 「7/26津久井やまゆり園に思う―」元・現場労働者の一人として」 講演(くえびこ学習会にて) 2016年9月

注2) フィリップ・ジンバルドー著 鬼澤忍・中山宥訳 『ルシファー・エフェクト-ふつうの人が悪魔に変わるとき-』 海と月社 2015年



イギリスのEU離脱を喜ぶ

2016-07-28
その他
 国民投票の結果、イギリスのEU離脱が正式に決まった。日本ではほとんどの者が残留派を支持し、離脱派の支持者はごく僅かに過ぎないように見える。そして一般的には、離脱派は、感情的で、排外主義であり、さらにポピュリストであるといったレッテル貼りが、何の疑いもなく行われている。しかし、少し考えればわかることだが、英国民の半分以上が支持したこの決断を、単なる感情論や排外主義で片づけて良いはずがない。離脱派の中には知識人も含まれるが、彼らの主張が日本で紹介されることはほとんどない。そして、STAP細胞事件の時と同様、一律報道をお家芸とする日本のマスコミによって、同じ報道ばかりが蔓延したのだった。
 離脱派の主張の要点は、やはり主権に関する問題であろう。近代国家においては、間接民主制が取られているが、間接とは言っても、国民意思の反映を実感できる形には、一応なっている。ところがEUの場合、欧州委員会によって重要な決定がなされるが、その実態は官僚制であり、そしてこの決定を、加盟国政府は必ず受入れなくてはならない。つまり、政府の権能が完全に骨抜きにされてしまう危険性があり、これを懸念するのは当然であろう。
また、EUに残留した方が合理的であるという場合の合理の意味とは、単に経済的合理性のことであり、もっとわかりやすく言えば、損か得かの問題である。日本では特に、円高要因になるとの不安の声が上がっているが、これこそ最近流行語にもなった「sekoi」話ではなかろうか。株や為替に短期的混乱を招くことは避けられないであろう。しかし、そのようなことはEU離脱という歴史的事件に比べれば、些細な問題にすぎぬのである。
 また、EUの役割として、平和の維持ということがよく言われる。しかし、第二次世界大戦後、西ヨーロッパ世界で戦争が起きていないことが、EUのお陰と果たして言えるのだろうか。EUの前身であるECの原加盟国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクであり、いずれも民主主義が発達し、経済的に豊かな国々である。その後、EUは28か国に拡大し、東欧や南欧を包含するようになったが、EUの基本的な性格は先進国連合であり、そのブランドに惹かれ、身の丈に合わない国までもが加盟を望むようになったのだ。
「民主主義国は戦争を回避する」(カント)、「マクドナルドのある国同志は戦争をしない」(T.フリードマン)などと言われるが、これを下品に言わせてもらえば、「金持ち喧嘩せず」ということになろう。要するに、EU諸国において、第二次世界大戦後戦争が起こらなかった本当の理由は、「金持ち喧嘩せず」の論理が有効に働いた結果だと言えるのではないのか。同様のことは、日本についても言える。ゆえに、EUにノーベル平和賞を与えたなどと言うのは、少々過大すぎる評価だと思う。しかし、EUがさらに拡大してゆき、先進国以外の加盟が増えていけば、今後も平和が維持されていくという保証はない。さらに、移民問題のように、欧州委員会が、加盟国の事情も考慮せず無理難題を突き付ければ、緊張や紛争を招くことにもなろう。
 平和と並んでEUの理想主義をかたるものとして、死刑制度の廃止がある。EUは加盟の条件として、死刑廃止を掲げている。しかし、イスラム過激派によるテロが頻繁に起こるようになってから、実行犯をその場で射殺するケースが増えている。これは、逮捕すれば死刑にできないので、国民の応報感情を慰藉するためあえて裁判には持ち込まずその場で殺害している、という憶測が流れている。筆者は、これは真実だと思う。死刑制度廃止の結果、生命尊重やデュープロセスがないがしろされるといった、皮肉な状況が生まれているのである。
 高い理想を追い求めた結果、現実が歪められるといった状況は、移民・難民問題についても言える。シリア難民の受入れといった人道主義の背景には、安価な労働力の供給といった経済界やグローバリズムの要請があることは明らかである。これは、今回のシリア難民のケースだけではない。過去に流入にしてきた移民や難民も、二世の代になってようやくこのことに気づかされ、それがホームグロウン・テロの温床になっているのだ。シリアの場合、アサドというカリスマが死ねば帰還できる可能性が高いのだから、帰還を前提にして、難民の子弟にはアラビア語の教育が施されるべきであろう。しかし、それでは受入の本当の目的が果たせなくなるので、そのようなプログラムは行われないのだ。

 EU離脱には、政治や経済の側面だけではなく、文化の問題ともかかわっている。すなわちそれは、EUの文化的統合によって、英国文化がヨーロッパ文化圏の中に飲み込まれ、独自性を失ってしまうのではないか、といった懸念である。
 かつて、東京MXで「ゴールデンアワー」という番組があり(司会:徳光正行、2012年9月終了)、さまざまニュースについて日本在住の外国人がコメントをするといった趣向が面白く、筆者はこれをいつも見ていた。この番組の中から、サヘル・ローズや春香クルスティーンなどが有名になっていくのだが、他にもたくさんの外国人が出演し、その中に荒パスカルというベルギー人と日本人のハーフの女性がいた。このパスカルが、自国について語るとき、いつも「ベルギー」ではなく「ヨーロッパ」と言っていたことが今でも強く印象に残っている。ベルギーはEUの本部ブリュッセルを首都に持つ国であり、それが彼女に「ヨーロッパ人」としてのアイデンティティをもたせていたのではなかろうか。
 しかしこれはあくまでパスカルだけの話であり、他の外国人出演者すべてが「ヨーロッパ人」と語っていたわけではない。もしEUによる文化的統合が進んでいけば、より多くの人々が、「ヨーロッパ人」としての自覚を持つようになるのかもしれない。しかし、国や国民性はそのまま残るので、ある種の、二重のアイデンティティといった意識をもたらすのではないか。実は日本人も、かつてこれとよく似た経験をしている。幕末の頃、すべての日本人は藩に帰属する意識を持っていたが、明治になると、「日本人」という新たなアイデンティティをもつに至った。日本の場合、藩に対する意識は急速に薄れていくが、ヨーロッパの場合、けしてそうはならないであろう。そして、二重アイデンティティが続くことは、精神のあり様として、不自然さを免れないのではないのか。

 文化的統合には、歴史的要因だけではなく、地理的サイズといった要因も関与しているように思う。ヨーロッパの源流として、ゲルマン人が作った国、フランク王国がある。この国の版図は、ギリシャやローマよりも、現在のEUの中心国のものと重なっている。フランク王国が隆盛を極めたのは、8~9世紀のカール大帝(742~ 814)の頃で、その版図はフランス、ドイツ及びイタリアに及んだ。カールの死後フランク王国は、西フランク王国と東フランク王国に分裂し、それぞれがフランスとドイツへとつながっていく。すなわち、長いスパンで見れば、ヨーロッパは瓦解・分裂のプロセスを辿り、その結果、現在のヨーロッパ各国が形成されたのだ。長い間、再び統合へと向かわなかったことを考え合わせれば、現在の各国の領域とサイズが、安定的に機能したからではないかと考えられる。ゆえに、EUの試みは、ヨーロッパの長い歴史に逆行するものと言えるのだ。
 我が国においても、幕末から明治にかけて「日本人」というアイデンティティを獲得できたのは、文化のサイズが適当な大きさだったからではないだろうか。その証拠に、さらに領土を拡張しようと目論見、「大東亜共栄圏」なるものを打ち建てた途端、ものの見事失敗に終わっている。
 大きな文化的サイズをもつ国として、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、中国などがある。ソ連はロシア等に解体してしまったが、ロシアの場合、大多数がロシア民族によって構成されている。また、アメリカは歴史の浅い人工国家であり、しかもWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)という同質な支配層が存在する。中国は、北方異民族との力関係において、長い間、統合・分裂を繰り返してきたという、特殊な歴史的背景を持つ。
 そして、これらの国々とEUとでは、その成り立ちや性質において明らかに異なっている。例えば、アメリカ、ソ連(ロシア)、中国では、それぞれの国の名において、オリンピック選手を派遣しているが、これはナショナリズムが成立していることを意味する。スポーツにおいて熱狂と一体感を味わうことができるのは、ナショナリズムの発露によるものである。しかし、EUの場合、ヨーロッパ・ナショナリズムなどというものは存在せず、そのため文化的統合の基盤もこれらの国々に比べより脆弱と言えよう。
 オリンピックの他にもう一つ、文化的統合を測る尺度として、「財をシェアできるか」といったことがある。例えば、日本であれば、全国から徴収した税収を地方交付税として経済的に貧しい地域に交付したことに対して、他の地域から文句が出ることはない。ところが、ヨーロッパの場合、ギリシャ危機を見てもわかるように、ギリシャがEUやIMFから借款を受けただけで激しい非難を浴びることとなる。このことは、EUの文化的統合がいまだ未成熟であることをうかがわせる。非難はドイツを中心に起こったが、ドイツは本来なら日本のようにマルク高に苦しまなければならず、EU内に輸出競争力の弱い国々があるからこそ、為替上有利な立場を得ているのだ。このことを忘れ、まるで自力で繁栄できたのかのように錯覚しギリシャを非難することは、そもそもおかしな話なのである。

 ギリシャ危機を見てもわかるように、「ヨーロッパ人」への道は前途多難なように見受けられる。もしこれが実現不可能なほど高いハードルなら、早いところ見切りをつけ、単なる経済共同体に戻した方が賢明ではないかと思う。EUは歴史的実験などとよく言われる。しかし、実験には失敗がつきものであり、それを見極めないと、かえって深刻な事態を招くことになろう。今回のイギリスのEU離脱は、EUについて改めて見直す、良ききっかけとすべきである。





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