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インターネット陰謀論(9)

2014-09-04
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9.  電子モデルへの疑問

イノベーションの進展は、人間と機械の共生において、質的な変化をもたらしつつある。一言で言えば、機械モデルから電子モデルへの転換であり、さらに言えば、アナログからデジタルへの変換と言っても良い。機械モデルは、人間と機械が互いに折り合いをつけながら相互に浸透していくものであり、早い話、からくりの延長線にある。代表的には、時計であろう。時計を見ればわかるように、その操作方法は二つないし三つの要素から成り立っている。例えば、①竜頭を回す、②竜頭を引っぱる、③竜頭を引いて回す、といった具合だ。扉のノブは、①引く、②回すだし、ラジオは、①電源、②音量、③チューナーの調整だけである。
ところが、電子モデル、すなわち、デジタル化が進んでいくと、旧来の操作方法が一変し、どんどん複雑化してゆく。その結果、取扱い説明書を常に保管しておかなければ、扱いきれないような製品が増えてきた。
例えば、テレビの場合、半世紀以上もの間、①電源ボタン、②音量、③チャンネル操作だけでよかったのだが、2012年にアナログ放送の終了によって、すべての人々が複雑なリモコン操作に慣れなければならなくなった。これは、高齢者や認知症の人にとっては酷なことである。ちなみに筆者の父親は96歳だが、今までとチャンネルが変わったことさえ理解できず、もちろん複雑な操作法などマスターできるはずもない。
また、エアコンも、かなり前からリモコン操作が一般的となっている。最近、高齢者が猛暑のため熱中症で亡くなるケースが増えているが、認知症の単身高齢者の場合、エアコンのリモコン操作法で亡くなるケースもあるのではないか。実際、筆者の知っている高齢者の中には、一人ではエアコンの温度管理ができない者がいる。これなど、命に関わる問題なので、認知症高齢者の中でどれくらいの人々が自力でリモコン操作できるのかを、統計的に調査し、きちんと明らかにすべきであろう。また、行動科学と言う、これに適した学問があるので、どのようなリモコン操作方法にすれば、より多くの認知症高齢者にとって理解しやすいかを究明すべきである。
また、2008年の法改正により、ガスコンロへの「調理油過熱防止装置」、「立ち消え安全装置」等の設置が義務化された。そのため、現在販売されているガスコンロは、フライパンや網焼きを使う際、その高熱化がセンサーによって検知されると、弱火になり、さらには消火されるといった仕組みになっている。これを義務化すること自体にも抵抗を覚えるのだが(例えば、網焼きを作っていた町工場が倒産に追い込まれる)、より安全になったことは認めよう。問題は、高熱化したときの解除の仕方だが、それがなんと「長押し」なのだ。「長押し」は、パソコンを使っている者にとっては馴染みのある方法だが、認知症高齢者にとってはほとんど理解不能だと思われる。これは、調理だけはせっかく自分でやっていた高齢者から、その楽しみを奪うことにつながる。これによって、生活習慣上の重要な残存機能が脱落し、より重篤化していくことになるのだ。従来のガスコンロの操作法は、つまみを押して回すといった、先に述べた機械モデルによるものである。そこに、何故「長押し」などという電子モデルのものを持ってくるのか。あまりの配慮のなさに唖然とする。高齢者は、今までの習慣をそう簡単には変更することはできない。電子モデルなら、いかようにも変えられるのだから、高齢者の生活習慣の方に合わせるべきだろう。

そして、旧来のモデルから最も乖離してしまっているのが、パソコンであることは言うまでもない。一部の人々が複雑な操作方法を覚えなければならない、というのなら問題はない。しかし、パソコンが必需品となった今日、相変わらず操作方法が複雑だというのは、ちょっと常軌を逸している。二つないし三つの要素で構成するというのは無理だとしても、もっともっとシンプルにすることは十分可能だと思う。
これは、市場に任せておいても達成できない。なぜなら、認知症高齢者や知的障害者の声が市場に影響を与えることは、ほとんど不可能だからである。ましてや、OSが一社独占の状態であれば、なおさらであろう。だから、規制によって誘導するしかない。エアコンの温度管理の場合のように、操作の習得不能は命の危険にもつながるのだから、すべての電気製品の操作法を機械モデルに近づけるべきである。
これは、ユニバーサルデザインの考え方とも一致する。ユニバーサルデザイン(Universal Design)とは、「文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)」のことをいう。「老若男女」とあるのだから、当然、認知症高齢者や知的障害者も含まれるはずである。また、以前紹介した「障害者差別解消法」には、「合理的配慮」(Reasonable Accommodation)という考え方もある。これは、企業等が、バリアフリーを実現するため、経営が傾くようなことまではしなくてもいいが、具体的に可能な範囲で社会的障壁の解消に努めることを意味する。これは、国際標準の考え方である。これらからすれば、認知症高齢者や知的障害者がパソコンを利用する際、アクセスを可能にすべき義務や責任が企業の側にある、ということになる。さらに、下世話なことを言わせてもらえば、高齢者は金を持っているのだから、その力を背景にもっと声を上げるべきだ。

デジタル化の流れに困惑しているのは、何も高齢者だけではない。今年の4月、愛知県刈谷市の21校の小・中学校と保護者が連携し、児童生徒に午後9時以降スマートフォンや携帯電話を使わせないようにした。LINE(ライン)をめぐるトラブルやいじめが後を絶たず、また生活習慣の乱れの原因にもなっているため、このような試みが実施されたのである。すると意外にも、なんと半数近くの子どもたちがこれに賛同したのだ。子どもの方でも、人間関係のトラブルに疲れ切っており、ルールができればそれを理由に断りやすくなるからだと考えられる。
児童期には、一定の刷り込みが行われ、それが人生を左右したりするものだ。それが、スマホであったり、友人間のトラブルであったりした場合、いい影響があるとはとても思えない。現段階で、まだはっきりと証明されたわけではないが、もう少し発達上の悪影響が明らかになった段階で、R15のようなものを設けて規制に取りかかるべきだろう。実際に、欝や心身症、中毒症状が明らかになった場合には、煙草やアルコールと同じような意味合いで取り締まるべきだと思う。
発達心理学でも、乳幼児に対して、同じ人間がモニターを通して語りかけた場合と直接語りかけた場合とでは、脳の反応が全く異なることがわかっている。それは、恐らく自然や風景についても言えるだろう。よく原風景などと言われるが、幼児期に刷り込まれた風景は、生涯その人にとって精神の土台となる。それが、バーチャルな風景であった場合どうなってしまうのか? 考えるだに、空恐ろしい気がする。初期のCGデザイナーの中には、子ども時代豊かな自然環境の中で育った者が多い。コンピューター業界で活躍する者でさえ、その基礎は自然によって培われるのだ。
パソコンやモバイルなどは、語学教育や音楽教育とは異なり、人生の早い時期から教え込む必要性はない。むしろそれによるマイナス面の方が大きいのではないか。ならば、社会がきちんとコントロールしていくべきであろう。



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