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韓流ブームが来ても恨が消えないワケ

2008-03-24
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 以前「後見文化論」で、後見文化が日本独自のものであるというようなことを書いたが、それが勇み足だったことに早くも気づかされてしまった。すなわち、角田房子著「閔姫暗殺-朝鮮王朝末期の国母-」(新潮文庫)の中に、韓国には、日本よりもっと凄まじい後見制があったことが記されていたからだ。
 李氏朝鮮王朝時代に、韓国版摂関政治ともいうべき勢道(セド)政治が横行し、家臣の金氏一族による権限の逸脱・濫用が目に余った。韓国の場合、王をないがしろにするだけではなく、王家の一族たちに対する虐待まで行われていた。例えば、1849年に19歳で即位した25代王哲宗は、王位につくまでは極貧生活を余儀なくされ、ろくな教育も与えられず、毎日漁夫の子どもたちといっしょに遊んでいた。そのため、新王を迎える正使から書状が差し出されたとき、「余は書中の文字を解し得ない」と答えたという。文字が読めなければ、当然政務を司ることはできず、王哲宗は生涯ロボット的存在であり続けた。
 韓国と言えば、政権が交代すると前政権の大統領が逮捕されるということが知られているが、やはりやることが半端でなく、それは後見制度にも及んでいたのだ。

 ところで、この本には、日韓史にまつわる重要な事柄が書かれてあったので、ブログのテーマからは少しはずれるが、あえて紹介させていただきたい。
 まず、この本のタイトルである閔姫(ミンピ)は日本では知る人はほとんどいないが、副題にもあるように、朝鮮王朝末期の王妃である。
 閔姫は、韓国では悲劇のヒロインとして老若男女知らぬ人はないほど有名な女性である。王以上に権力を振るったという点では、ほぼ同時代の清の西太后と似かよっていると言えるかもしれない。しかも、日本人によって殺害されたというのだから、無関心ではいられない。ところが、この事件は日本ではほとんど知られていないため、今も、韓国のバスガイドは、観光コースで閔姫ゆかりの地を通っても、日本人観光客にはあえてこの話を紹介しないということだ。
 詳細は同書を読んでもらうとして、閔妃暗殺事件は1895年に起きており、これは日清戦争の直後のことである。そのため、この本では、日清戦争についても詳しく触れている。ここではその概略についてだけ、紹介する。
 1894年、朝鮮で農民反乱(東学党の乱、甲午農民戦争)が起こり、その鎮圧に手を焼いた朝鮮政府は、宗主国である清に援軍を頼んだ。この時、日本は要請を受けていないにもかかわらず、居留民保護という名目から約3000人もの軍隊を送り込んだ。ちなみ、居留民保護のためなら、その10分の1程度の派兵でも十分であった。
 反乱軍も外国の干渉に危惧を抱き、和解に応じてきたので、本来ならこの時点で、日本軍は撤兵すべきであった。しかし、3000人もの兵を送って手ぶらで帰ってくるわけにも行かないため、朝鮮政府に対して難癖をつけた。すなわち、朝鮮は独立国であるのに、清の属国であることは隣国としても看過しておくことはできず、内政改革が必要であると……。そして、日本軍は王宮を占領し、閔妃一派を追放し、閔妃と対立する大院君を復権させ、親日政権を樹立させた。当然のことながら、これに対して清国は猛烈に反発し、その結果両国の対立は深まり、開戦となる。
 まさに謀略という他ないが、その首謀者は、当時外務大臣であった陸奥宗光である。ちなみに、首相の伊藤博文は、この戦争に対して消極的であったという。陸奥は、1929年に公開された機密文書(「蹇々録」)の中で、清国がどのように対応してきても開戦に導けるように策を練ったと述べている。

 私は不勉強のため初めて聞く話だったので、少なからず衝撃を受けた。しかしこの戦争の経緯については、閔妃事件と異なり、すでに多くの人の知るところであろう。ちなみに、私の手元にある「早わかり日本近現代史」(河合敦、日本実業出版社)の見開き2ページの「日清戦争」という項目では、「すべてが強引だったアジアへの進出」というサブタイトルがつき、ほぼ同様のことが無造作に淡々と記述されている。たまたま先日、NHK教育テレビの高校生向け歴史講座で「日清戦争」が放送されたので、早速見てみると、講師が戦争の経緯についてふれた後、アシスタントの女性が、「ちょっと強引ですね」、「そうやって(明治政府は)正当化していたんですね」などという短いコメントを入れていた。
 前掲書も、NHKの番組も、「侵略」という言葉は使わず、「強引」という一言でまとめている。要するにわが国の歴史では、先述の明治政府の取った行動は、「強引」といった程度の取り扱いなのである。しかし、これではちょっと軽すぎるのではないかという印象をどうしても拭いえない。
 陸奥宗光は元紀州藩士だが、彼のとった行動は、およそ武士道とはほど遠い、強いて言えば、ヤクザのそれに近いのではないか。例えば、サラ金の取立に悩んでいる者が、ヤクザ者に相談したら、若い衆を4、5人連れてきて、取立屋を追っ払ってくれたはいいけど、その後、御礼として2000万円を要求され、それが払えなかったら、不動産を全部取り上げてしまう、といった類の手口とよく似ている。日清戦争の場合、頼みもしないのにやってきたのだから、たちとしてはかなり悪い。
 ちなみに、当時の民衆は、朝鮮を守るために悪い清国をやっつけた正義の戦であると信じて、国内は大いに湧き上がった。これはもちろん新聞による情報操作がなされた結果であるが、福沢諭吉ら知識人も、この戦争の目的の正当性を評価し、不義の戦争として異を唱えたのは勝海舟一人であった。

 司馬史観(日清・日露戦争は美化し、太平洋戦争は否定するという歴史観)というのがある。司馬遼太郎は、太平洋戦争末期、栃木県佐野で、戦車上の軍人が、逆方向に向かう民間人に対して「轢っ殺して行け」と叫んでいるところを目撃し、激しい怒りを感じ、それが彼の原体験となっている。
「日本人はいつからこんなにバカになったのだろう。しかし、もっと以前にはもっと立派な日本人がいたではないか。私の作品は、この時の自分に対する未来からの手紙である」。
 そして、この視点によれば、日清戦争は肯定的に描かれることとなる。
「アジア最大の国家という強者に対し、弱者だと思いこんでいる日本がいどみかかっている。日本人のほとんどは、どう考えても自分たちにかちめはないとおもっていた。血相を変えてとびかかってみたところが、連戦連勝で勝ってしまっていることにすっかり度をうしない、有史以来かつてない国民的高揚というものを日本人たちは体験した」(「坂の上の雲」)
 ところで、我々の多くは、司馬遼太郎の小説を読む読まないに関わらず、多かれ少なかれ司馬史観的な見方をしているのではなかろうか。私自身、物心ついた時から、太平洋戦争については否定的な見方をしてきたが、日清・日露戦争については無知ゆえに、さほど悪い印象はもってこなかった。
 司馬遼太郎が明治時代の日本人の偉業を見出したのとは若干異なるが、太平洋戦争に比べ日清・日露戦争の方を相対的に評価するという点では、多くの日本人が一致した見解を共有しているのではないかと思う。
 しかし、日清戦争が、それに引き続く日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、大いなる破滅への導火線となったことに思いを致せば、このような「史観」を手放しに認めてよいものか、はなはだ気になるところである。

 ところで、日本と中国・韓国との間の歴史認識の問題が、いまだに火種となっている。そして、多くの日本人は、戦後60年以上経っているのにしつこいとか、中国・韓国は政治的駆け引きに利用しているなどと思っている。
 しかし、閔妃暗殺事件一つとっても、我々に振り返ってみれば、それは皇后が暗殺されたことと等しい重要さをもっているのである。朝鮮王朝は我々にとっての天皇制と同じであり、わが国でも評判となったドラマ「チャングムの誓い」を見れば、いまだに大衆の中にこの王朝に対する敬慕の念が残っていることがうかがえる。
 ここに、日本で刊行されている韓国の教科書がある(「わかりやすい韓国の歴史―国定韓国小学校社会科教科書―」 明石書店)。それをひもとくと、日本に関連する部分のみを抜粋したのではないかと思われるほど、わが国の存在が随所に暗い影を落としており、恨みつらみの記述で溢れている。それらを読んでいくと、腹が立つと言うよりは、むしろ痛々しい感じがしてしまうのである。恨(ハン)の思想は、あたかも日本との関係において生まれたのではないかと思われるほどである。
 国家間の問題と個人間の問題を同一に語るのは適切さを欠くかもしれないが、歴史認識は裁判の事実認定に相当するのではないだろうか。加害者が事実認定について認めなければ反省の情なしとみなされ、したがって被害者感情も慰藉されない。戦争の場合の事実認定は、単に一世代、一部の権力者に対してなされればよいというものではなく、やはり世代を越えて語られていくべきものであろう。そして、両国の教科書の内容が、少なくとも事実認定の部分については、少しでも近づいていけるようにすることが望ましいのである。

 日清戦争は、日露戦争に比べ、小説化や映画化された作品が少なく、近現代史のエアポケットと言っても過言ではない。司馬遼太郎にしても、日露戦争に関しては「坂の上の雲」という大著があるが、日清戦争に関しては小説を書いていないようである(豊臣秀吉の朝鮮侵略・壬辰倭乱については「故郷忘じがたく候」がある)。
 私が調べたかぎりでは、日清戦争について扱った小説は、陳舜臣の「江は流れず」があるぐらいである。日露戦争は祖国防衛戦争という見方もできるが、日清戦争は、先述したような正当化しづらい面があるため、小説にはなりにくいのであろう。
 まず手はじめに、「江は流れず」でも読んで、この戦の意味について、じっくり考えてみたいと思う。


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